Not melody from you
:Side-heavy-9
「う、うぅぅ」
私は泣き出して、彼の手を握りながら、へたりと崩れ落ちた。
いつしか私には彼の言葉の全てが別の言葉に聞こえていた。
木になれるような気がしてたんだよ。
私にはこの世界から居なくなりたいと、そう聞こえていた。
彼は、ずっとそう願っていた。
そして私は彼のその願いを止めさせる事ができなかった、彼の心からこの森を剥がす事ができなかった。
私は救えなかった。
それを知った時、私は悲しくて堪らなかった。
「泣かないで」
うなだれて嗚咽する私の頭に、彼が声を掛けた。
「確かに、今でもそう思ってるよ。ぼくは木になりたい、そう思ってる。でもね…」
泣きながら、私は上目遣いに彼を見上げた。
彼はへたり込む私に、幼稚園児をあやす保母さんのように笑いかけていた。
安心してと励ましているようにも、泣かせてごめんねと謝っているようにも見えた。
「君と会ってからは、それが少し違ってきたんだよ。こんな人も居るんだなって思った。君はぼくとまったく正反対の世界に住んでいた。だから、ぼくは君を好きになった」
そう言って、彼は小瓶をグッと握りしめた。
その手はもっと別の何かをしっかりと握りしめているように見えた。
「もう嫌なんだ。もうこの森に依存したくない。木になりたいなんて、思いたくない。ぼくは生きたい。君とちゃんと向き合っていたい。だから、もうぼくはこの森に二度と来ない」
彼は私の手を離すと小瓶を振りかぶって、思いきり遠くへ投げ捨てた。
放物線を描いて高く飛んだ小瓶は一度キラリと光を反射した後、がさりと音をたて、この森のどこかに落ちた。
多分、それが見つかる事は二度と無いだろう。
泣きはらした目で、私はそう思った。
彼は私にもう一度微笑みかけ、
「もうお別れだ。昔のぼくとも、この森とも」
と言った。
その微笑みを見て、私はもう一度泣いた。
今まで、君の事をちゃんと知ろうとしなくてごめんと謝りたい気持ちと、彼がこの森と決別すると言ってくれた事がうれしい気持ちがごっちゃになって、その二つの感情を同時に表す為に、私は泣くという方法をとらざるをえなかった。
森はどこまでも静かだった。
白色だった木漏れ日にはいつの間にか淡いオレンジ色がつき始めていた。
夕暮れ時の森の中で、私の嗚咽だけが反響した。
彼の子供の頃には彼の遊び場となった、この森。消えたがる彼の背中を預かった、この大樹。
それでも私には、その両方とも、美しく思えて仕方なかった。
その美しさも私の涙が流れ続けた一因になるのかは分からない。
それでも、私は泣いていた。
彼の傍で、いつまでも泣いていた。
私がやっと泣き止み、彼と共に車に乗り込む時には、すっかり夕日も沈みかかっていた。
彼は車を出す寸前、バックミラーでチラリと森を一瞥した。
それが多分、彼なりの最後のあいさつだったのだと思う。
車が田舎道を抜け、国道に出た辺りで、私は彼に質問した。
「ねえ、君が持ってた小瓶。あれ、結局何だったの?」
「あれはね」
彼は赤信号でブレーキを踏みながら答えた。
「ちょうど十年前のぼくが、十年後のぼくに宛てた手紙」
「それは、つまり…」
「そう、十年前の今日、あの手紙をあの森に埋めた」
「中を見なくてよかったの?」
私は聞いた。
彼が結局小瓶の蓋を開ける事なく遠くへ投げ捨てたのが、少し気になっていた。