『ewig〜願い〜by絢芽』-1
いつもあの人は寂しそうな顔をしていた。
いつもあの人はどこか遠くを見ていた。
いつも私は――あの人を見ていた――。
時代は平安末期。
摂関政治により藤原家が政治の全権を握り、貴族たちが自由気ままに過ごしていた時代。
主人公は絢芽(あやめ)。
天皇家の遠い親戚にあたる一宮(いちのみや)一族に幼少の頃から仕えている。
「そろそろお香持って行こうかなぁ……。」
私が仕えているのは一宮家の当主、嵩雅(たかまさ)様。
何処か儚げで、何処か寂しげで、いつも孤独そうな空気を漂わせている人――。
最初はなんて冷たい人なんだろうって思ってた。
周りの女中の人も冷たい人って言って近寄ろうとしなかった。
私が成人したのを期に、嵩雅様にお使えするようになったのは二ヶ月前のこと。
本当は別の人が当たっていたのだけれど、嵩雅様の相容れない態度から逃げたくて私に押し付けた。
だけど、接していくうちにそんなに冷たい人ではないのかもしれないと感じるようになっていった。
それは、冷たい態度の裏に、温かさのようなものも感じたから――。
「今日は佐曽羅にしようかな。」
いつも太陽が真上を通り過ぎ、傾きかけた頃合いにお香を持っていくことになっている。
「いくことになっている」っていうよりも、「もっていくことにしている」と言ったほうがいいかもしれない。
あのひとはずっと部屋に閉じこもって、政治をしている。
たまに初瀬道(はせみち)って言う人が来て、蹴鞠やら歌詠みやらに無理やり参加させられているみたいだけど、それ以外は、時間も関係なしに部屋に閉じこもっては政治をしている。そんな嵩雅様に少しでもメリハリをつけさせようかと思い、お香を持っていくことにした。
「嵩雅様、お香をお持ちしました。」
「入れ。」
今日もまた、同じように冷たく、感情のない声で返事がきた。
部屋に入っても、私なんか目に入っていないかのような冷たく感情もないような顔がそこにはあった。
一体、この人は何に興味を抱くんだろう……。
そんなことを想いながら、お香の準備をしていた。
「今日のお香はなんだ?」
ふいにそんなことをふられた。
いつも通りのやりとり。
私は心の中で一呼吸おいてから答えた。
「今日は佐曽羅でございます。」
その後の会話もない。いつも通りだ。
私の横で嵩雅様は外を見ていた。
私は、ここの「外」の風景を思い出していた。
幼い頃に住んでいたきりだったが、今でもその光景は鮮明に思い出せる。
ここのような美しい景色は「外」にはない。
あるのはただ、人の屍(しかばね)や、飢えて動けない人々――。
あるいは、生き延びるために人を襲う強盗などだ。
あそこには、地獄しかない――。
神も仏もいない――。
ふと、嵩雅様のほうへ目を向けると、庭を眺めていたはずの嵩雅様が、神妙な面持ちで目を伏せていた。
「嵩雅様、いかがなさいました?」
私は今までろくに口も利いたこともないのにも関わらず、思わず声をかけてしまっていた。
嵩雅様も驚いている様子だった。
だけど、声をかけずにはいられなかった。
あまりにも悲しそうで……。なにかを押し込めていそうで……。
だけど、何にも助けを求めていなさそうで、助けられなさそうで……。
見ていて、とても辛かった――。