《glory for the light》-17
「何これ?川端康成?大学だけじゃ飽き足らず普段もこういうの読んでるんだぁ…」
微かに輝くアカネの瞳を覗いて、僕は言った。
「君だって昔は読んでたんだろ?図書館で太宰治とか…」
「…何で知ってるの?」
しまった。そう思った次の瞬間には、マスターから聞いたことを白状していた。嘘をつくのが面倒だったし、アカネにはすぐ見破られそうな気がした。
「あのオッサン…まぁ、いいか。今まで黙ってくれてただけでも上出来よね」
何処か恥ずかしそうに笑うアカネ。
「口滑りの良い中年にしては、頑張ってたと思うよ。本当は話したくて話したくて、白髪が一割も増えたんだ」
彼女は明るく声を上げて笑った。
「ひっどいなぁ、その言い方」
「あれ?気付かなかった?最近は黒と白のコントラストが美しいって、客の間で専ら評判さ」
笑い上戸なのだろう。目尻に涙まで浮かべて満面の笑顔を作るアカネ。僕は心の中で笑いのダシにマスターを使ったことを謝った。アカネの笑顔のためなら、彼は「しょうがねぇなぁ」と言って笑って許してくれるだろう。アカネは笑いの波が収まると、目尻の涙を拭って言った。
「まぁ…いつまでも隠していられるとは、思ってなかったしね。というか、隠す必要もないことだって分かってる」
「その通り」
「でも、分かるでしょ?そういうのって、恥ずかしいもんよ。アルバムの写真で五歳の頃の自分を見られた感じ」
「ああ…それは分かる気がする」
でしょ?と言ってアカネは笑った。
彼女は再び川端康成の本を手に取ると、まじまじと眺める(そう言えば、彼女が図書館で太宰の本を読んでいる。というのは飽くまでマスターのイメージだったはずだが、それが当たっていたとなると、彼の想像力も馬鹿にはできない)。
「その本ね、川端康成の短編集。一話辺り二〜三ページしかないから、気軽に読めるよ」
「ふ〜ん…じゃ、借りてもいい?」
「どうぞ。それ読むの三回目だし」
「なんちゃってね。実はもう、読んだことあるんだ。中二の頃にね」
「…中二で川端康成?もしかして君、僕より読書家?」
「実は結構ねぇ。文学少女っていうの?割りと造詣は深いのです」
僕は感心しながら改めてアカネを眺めた。端から見ればノーベル文学賞作家なんて一人も知らないような子だ。小説を読むよか雑誌のモデルでもしていた方がピンとくる。
「あっ…その目は何かやだな。阿婆擦れを見る教師の目」
僕の視線に眉を潜めてアカネが言った。その古臭い表現に口許が緩む。
「今時、阿婆擦れなんて言葉は誰も使わないよ。それも本で覚えたの?」
まぁね。そう言って彼女はコーラを嚥下する。
「私ね、高校時代はホントに冴えなかったなぁ…」
やがて嫌なことを思い出したように、瞳を細めてアカネは言った。
「冴えない女子高生というと…メガネ・みつ編み・卓球部の勢揃い?」
「うわっ…偏見!てゆうか、何で卓球部?」
「僕のいた高校はね、卓球部イコール帰宅部だったんだ。必ず何処かの部に在籍しなければいけなかったから。仇名がエビスっていう先生が卓球の顧問でさ。あっ、エビスってのは七福神の恵比寿ね。顔がそっくりで、誰も怒った顔を見たことがなかったんだ。その先生が顧問で、しかも卓球って楽なイメージあるからね。勉強しかできないような子とか、もしくは勉強もスポーツも苦手な子が集まってたんだ」
僕の話を聞くと、アカネは顔を綻ばせた。足の上の両手で頬杖をかき、そのせいで上目使いになった瞳に、少しだけ僕は照れてしまう。
「なるほどね。でも、私がその学校の生徒だったら入ってたかも、卓球部。楽な部活は魅力的よ」
「大会では毎回、準優勝だったな」
「意外と強いんだ?」
「まさか。田舎の地区予選はね、出場校が少ないんだ。都会じゃ考えられないくらいにね。たったの二校だよ。卓球部の連中は全敗して帰って来ても、表彰会ではステージに上がれるんだ。バスケの激戦区で頑張ってる僕等からすれば、悲惨な話さ」
「君はバスケ部だったんだ?」
「うん。うちの監督が隣の高校を一方的にライバル視しててね。メチャクチャ強い高校なんだけど、あっちはうちの高校なんて歯牙にもかけてなかったんだよな。なのに監督が熱血漢でさ、練習はどの部より早くに始めて、どの部より遅くまでやってた」
「それで、その成果は出たの?」
「全然。そこと試合をやると、いつもトリプルスコアで完敗。悔しさも失せるほどの負けっぷりだよ」
「そりゃ卓球部が憎らしくもなるわね」
うんうんと領ずきながら、アカネは言った。