捨て猫-11
いや、そうじゃない。
ただ単に映画を見ている絶対数と人生経験が足りないのだ。
そう考えると、無知は幸せなのかもしれない。
知ることの喜び、感じることの喜びがその分大きいのだから。
たしかに、俺も子供の頃は幸せだった。何も考えず日々の生活の発見を楽しんでい
た。
世の中の不景気も、母親の老後も、将来の不安も考えも及ばなかった。
ユキはさながら子供のようなもの。少しだけそれが羨ましい。
学んでわかることも増えた、学んで感じることも増えた。
でも、無知の頃の幸せには到底及ばない。
そして。
俺はユキを見た。
うん?と不思議そうに瞳が動く。
ガラスのように美しいその瞳はそのまま俺を映し出していた。
汚れた俺、罪を背負った俺、無力な俺。
美しい自然を守りたい、とエコロジストは言う。
美しい絵画を、世界の遺産として、文化人は守ろうとする。
きっと美しいもの、穢れの無いものを守ろうとするのは、人間の本能なのだろう。
だから俺は。
守りたいと思った。
雨から、雪から、世界から、そして彼女の恐れる『何か』から、無力な俺なりに。精
一杯。
4
その日がそれで終われば、単にいい日として記憶に残ったんだろう。
夕食を買うためのコンビニへの外出。
5時付近の取るに足らないニュースなんて見なければ、パソコンを開き10分でも遅れ
て出ていれば、そんなほんの少しの違いで俺はその出来事を避けられたのだ。
運命論なんて信じたくないけれど、やっぱり必然ってあるのかもしれない。
そんなことを、背後から掛けられる声を空耳だと思いこみながら歩き、考えた。
「シュウ!」
二回目。さっきより少し語気を荒くした声。
その声の主が誰か、なんて事は、振り返らなくたってわかる。
この十何年、ここ三ヶ月を除いて、毎日のように聞いた耳たこな声。
前に伸びる自分の影を恋しく思いつつ、俺は渋々振り返る。
するとやっぱり案の定、そこには唯がいた。
三ヶ月前より伸びた髪は、ショートカットから短めのポニテールへと変わっていたけ
れど、それ以外は、何一つあれから変わらないそのまんまの姿で。
正直言えば、一番会いたくない人間だった。
どうしても、あの事件の事を考えずにはいられないから。
「ほら、やっぱりシュウだ!」
ニッコリと久々の再会を喜ぶ笑みを、唯は浮かべる。
その様子からして、もうあの事件の事を引きずってはいないんだろう。
でも、当たり前なのかもしれない。
俺と唯とでは、事件との距離が違うから。
彼女は、俺と違って何も後ろめたいことをしていない。
「久しぶりだね、唯」
何とか笑顔を作ろうと、自分でわかるくらいぎこちない笑みを浮かべる。
作り笑いって難しい。特に、三ヶ月ヒキコモリ中の俺にとっては。