《SOSは僕宛てに》-6
主人公は盲目の少女だった。五年前、十二歳の時に両親が事故で亡くなり、少女はその事故が原因で視力を失っていた。
少女は祖父と二人暮しをしている。内向的な少女と、寡黙な祖父だ。田舎街からさらに離れた、閑静な森の奥に、二人の家はあった。祖父は画家だった。さして有名ではなかったが、少女を養うだけの稼ぎは在った。二人は静かに暮していた。平和ではあるが、両親を失ってから、少女は心を閉ざしてしまっていた。学校に行って人と触れ合うのが怖かった。大好きだった祖父の絵が見れないのも辛かった。少女は心の支えを失っていた。ある日、少女の家に一人の青年が訪ねてくる。青年は地元の出版社専属のジャーナリストで、祖父の取材に来たのだと言う。発行部数も少なく、余り名の売れていない芸術家しか取り上げる事ができない。そんな文化雑誌の取材だった。青年は明るい人で、目の見えない少女に優しく接してくれた。青年は頻繁に訪ねてきた。取材の合間に、色々な話しを聞かせてくれる。青年がかつて取材をした人々の話しで、物悲しい話しが多かったが、少女は彼の話しが大好きだった。死んでしまった恋人のために、レクイエムのみを創り続ける作曲家の話し。幼くして死した娘を想い、その娘を型取った人形のみを創り続ける女性の話し。そのどれもが少女の胸に深く響いた。
その中でも特に少女が好きだったのが、自分と同じ、盲目の女性の話しだった。小説家だった。味覚障害に陥ったコックのように、光を失った作家は、作品を産み出せなくなってしまっていた。しかしやがて、彼女の小説のファンであると言う、写真家の青年と恋に落ちる。写真家の青年は彼女の目となり、自分が撮影した写真の情景を彼女に伝える。想いを込めて、優しい言葉で…。彼女は青年に励まされ、次第にまた、物語を書き始める。青年の愛を滋養とした、透き通るような恋愛小説だ。二人の愛を形にした小説は飛ぶように売れた。
盲目の少女は、ジャーナリストの青年にその作家の名を尋ねた。それは、少女も知っている有名な女流作家だった。少女は感動を覚えつつも、哀しくなった。何故自分には、その写真家のように、目となってくれる人がいないのか…。少女は青年との仲を深めつつ、胸中のわだかまりに悩んでいた。
そんなある日、持病が悪化して祖父が倒れた。たまたま居合わせていた青年が街から医者を呼び、一命は取り止めたものの、祖父の深刻化した病は、少女の心に暗い影を落とす。目の見えない自分は、祖父のために何もしてあげられなかった。ただ、震える祖父の手を握るだけで、祖父の苦痛を和らげることはできなかった。無力感。いや、その気になれば、何かはできたのかもしれない。何もしようとしなかった自分が悪い。そんな自己嫌悪の渦。落ち込む少女を、青年は優しく励ましてくれた。少女の好きな、あの女流作家の話しをもう一度した後、青年はこう付け加える。
『彼女の目となった写真家の青年だって、何も特別なことはしていないさ。彼女の目を治した訳でもないし、彼女のために小説のネタを提供した訳でもない。ただ、側に居て見守っていた。愛する人を、静かにね。それだけなんだ。人は本当に悲しい時、心から望むものは、形のある優しさなんかじゃなく、形という枠外から抜け出した、無償の愛なんじゃないかな。君はそれを充分に持っていた。僕はそう思う。その証拠に、君はあの人の手を優しく包んでいたじゃないか。ねぇ、目の見えない君は分からなかっただろうけど、君がおじいさんの手を握った時、あの人がどれだけ安心した表情を浮かべたか、想像つくかい?とても…穏やかだった。優しい顔だった。ひとりぼっちで広大な宇宙に取り残されて、寂しくて、悲しくて、寒くて震えている時、愛する人がそっと手を指し延べてくれて、自分はひとりぼっちなんかじゃないって、やっと気付いた。そんな顔だったんだよ。おじいさんは、君に病気を治して欲しいなんて、きっと思っていなかった。ただ、側に居てくれた。何も言わずに、手を握ってくれた。ひとりぼっちじゃないって教えてくれた。それだけで、人は満ち足りるんだよ。あの人に取って、その役目は誰にでもできる訳じゃない。分かるだろ?それは、世界でたった一人、君だけにしかできない事なんだ。だから、自分を責める事はないよ。君は君にしかできない事をしたんだから…。君は目が見えないから、人一倍傷付きやすいかもしれない。でも、だからこそ、人の優しさにも敏感なはずだ。心の瞳まで閉ざしてしまったら、本当の意味で君は盲目になってしまう。そんなのは、悲し過ぎるよ』