夏色の宿題-3
一瞬、息が止まった。それ以上はない正解だったからだ。軽い冗談であるのは理解していたが、心は敏感に反応し、目に見えない何かにきつく締め付けられた。しかし僕は
「検討違いも甚だしいね。D判定だ。正解は、今朝夏休みの宿題を全て終えたばかりだから」
と言った。勿論、本当は何一つとして手を付けていなかった。宿題なんて退屈な物を片付けようとすると、いつも百合のことが頭に浮かんで、とてもおとなしく机になんて向かっていられなかった。
「成程…そうきましたか…正直、自信あったんだけどなぁ」
その自信は本物だよ。僕は百合にそう言いたかったが、できなかった。なんとなく、まだその時ではないと、そんな気がしたんだ。
直接僕の気持を伝えることは、まだできない。でも、一つだけ、やれることがあった。
「百合、少しだけ時間をくれ。新しい謎なぞを考えるから」
「了解!いつまでも待ちましょう」
太陽のように、百合は笑った。 彼女への想いが固まると、不思議なほど、頭がクリアになった。それはこの夏空とは対極の、冬の夜空のように…。 暫しの静寂。やがて僕は、想いの丈を一つの謎なぞに込めて言った。なにぶん、即興であるため簡単であるのは致し方ないが、それだけに、きっと僕の想いは伝わるだろう。
「死者は弔いで黄泉帰る。何故でしょう?」
有り体に言えば、僕は百合が好きだということだ。百合は訝しげに眉根をよせた。
「比喩的な謎なぞね…分からないわ…。まぁいい!慣れない時間に起きてたら、また眠くなってきたし、その答えは、明日また此処で逢う時までの宿題ってことでいい?」
「いいよ。ゆっくり考えるといい。比喩を解釈すれば、すぐに分かるけど」
僕等は同時に立ち上がり、衣服に付着した砂を手で払った。なんだか僕は、とてもすっきりとしていた。覚悟が決まり、腹を据えた解放感。とでも言うべきか。何はともあれ、僕は間接的ではあるが、百合に気持を伝えたのだ。結果がどうであれ、それだけは覆すことのできない事実。後は運命に、いや、百合に答えを託し、僕は待つだけだ。僕等は並んで歩き、浜辺を抜けた。
「じゃあ、僕はここで」
僕は言った。
「うん。また明日ね!」
百合はまた、麦わら帽子を指先でくるくると回しながら言った。相も変わらず、太陽のように眩しすぎる微笑みで…。 二人は、踵を返し、背を向けた。僕等の間に
「サヨナラ」
という、寂しげな別れの挨拶はない。二人だけの暗黙の了解だった。
僕は思う。明日になれば、百合はきっと、僕の出した謎なぞの答えを導き出し、またこの海辺へとやってくるだろうと。『百合』。彼女のその名は、墓標に捧げる、白く美しいたむけの花の名と同じだ。彼女の両親は、百合にそんな、死者を悼むような、綺麗で優しい一輪の花のような女の子になって欲しくて百合と命名したと、彼女から聞いていた。死者とは他でもない。僕自身のことだ。僕は、弔いの花があれば、黄泉帰ることができる。それは何故か。 百合、謎なぞの答えはね、死者は、その花のことが、とてもとても、好きだからだよ…。だから、その花がそばにあるなら、死者は死の淵からだって蘇る。そして、死者はその一輪の花のためなら、再び墓の中で眠りに就くことだって躊躇いはしない。この気持が分かるかい?百合…。 明日になれば、君はどんな顔をして僕の前に現れるかな。冗談だと思って、軽く笑い飛ばすのかな。僕は本気だって言ったら、百合、君はまた、太陽のように微笑んでくれるかな…。 さんざめく陽光の下、僕は明日が待ち切れなくなり、今日は長い一日になりそうだなと、ふと思うのだった。