明日になれば…-26
問いかけに対し、兼坂は少しトーンを落とし、
「その事なんですが橘さん。これからリハビリテーションと食事療法で半月もすれば肉体的には彼女は元通りになります。
しかし、このまま社会復帰しても、また同じ道に陥ちる可能性が有る。そこで提案なのですが」
「はい…」
「私の知り合いが、民間の孤児院を運営しているんですが、そこでしばらく手伝いをさせるのはどうでしょう?」
「それが近道なんですね?」
「ええ、子供と接する事が彼女のリハビリテーションとなるでしょう。やはり女性ですから」
「先生、見舞いには?」
「ええ、ひと月もすれば〈綺麗な女の子〉に元通りでしょうから、その後が良いと思いますよ」
「そうですか…では先生、万事よろしくお願いします」
そう言って橘は電話口で頭を下げた。その夜は久々にすがすがしい気分だった。
夜空は雲ひとつ無く、月が煌々と辺りを照らしている。その光景は春菜の未来を暗示するようだった。
「今日から皆んなのお世話をする小林春菜さんです。皆さん、仲良くしてあげてね」
孤児院〈あすなろ園〉の園長の紹介で、春菜は子供達と対面した。緊張した面持ちで、目の前に並らぶ子供達を見回す。
下は幼稚園くらいか。着ているモノは肘の部分が薄くなったセーターにヒザが出て色のあせたズボン。
上の子は自分とそう変わらない年齢だろう。やはりくたびれた私服を着ている。彼等の目は笑ってはいるが、どこか哀しさを伴っていた。
それらの目が春菜に集中している。
「さあ、春菜さん。あなたからも挨拶して」
春菜は園長の方を向いて頷くと、深く呼吸をした後に子供達に向かった。
「き、今日から…皆さんと…い、一緒に勉強する、じゃないや!皆さんのお手伝いする小林春菜です…よろしく」
春菜の顔は真っ赤だった。緊張はピークに達していた。挨拶を終えて頭を深々と下げた。
途端に、たくさんの拍手の音が鳴り響いた。子供達のモノだ。となりに立つ園長をはじめ、他の先生達も春菜に拍手を送っている。
その光景を目のあたりにした春菜の中に、熱いものがこみ上げてきた。手で顔を被う。瞳から涙が溢れて、とめどもなく流れる。久しぶりの感情だった。
人から蔑げすまれ、疎まれて生きてきた。そんな者同士で徒党を組み、傷を舐め合っていた日々が彼女のすべてだった。
だが、ここでは違う。皆が自分を暖かく迎えてくれる。嬉しさと高揚感が入り混じった、心地よさを春菜は感じていた。そして〈ここで頑張ってみよう〉と思った。
「では、娘は孤児院で働いていると言うわけですか?」
「そうです」
「何故だ!親の私達に黙って勝手に…」
橘はその日、春菜の実家に訪れていた。孤児院での〈リハビリテーション〉を終えた春菜の〈帰る場所〉を準備するためだ。
小さな座敷に通された。
しばらくすると春菜の父親がやってきて、床の間に座った。母親はお茶を橘に出すと、そのまま橘の左手隅に座った。
春菜の父親は痩せた体躯で、神経質そうな顔立ちだった。メガネを掛けたその雰囲気から、役所の係長という感じだ。
対して母親の方はふくよかでおおらかな顔立ち。橘の目には典型的なステレオタイプの夫婦に映った。