飃の啼く…第21章(後編)-15
―私と一緒に来て
あの輝く海を越えて
私たちが見知った世界の果て
どんな夢でも叶わぬような
私たちが味わったどんな悦びにも勝る
世界が そこで待っている―
「なんと歌っているのですか?」
半ば強引に、南風は青嵐の“隠れ家”までつれてこられた。彼が言うには、ささやかな着任祝いと九尾の追悼式とを兼ねた酒盛りだという。本心がどうあれ、南風にとっては、あの一件を経た今、こうして二人でゆっくり話が出来るのは嬉しかった。
青嵐が訳して聞かせると、自嘲気味にこういった。
「青嵐になりきれないおれが、現実逃避したいときによく聞いてた歌だ…そんな世界を夢見るだけで満足してたおれは愚かだったよ。」
「そうでしょうか。」
手の中のグラスに入った琥珀色の液体を転がしながら、南風が静かに言った。
「貴方はいま、その新しい世界に居るのではありませんか…?」
カウンターの上に光る白熱灯の薄暗い灯りが、伏せた睫の影を落としていた。その新しい世界にいるのは、果たして彼だけなのだろうか。二人の間にはカウンター分の距離しかないのに、彼にはそれがひどく遠いように思えた。
「そうかもな。」
そして、迷う前にこんな言葉が口をついて出た。
「お前は?」
南風は、その問いを楽しむかのようにゆっくり答えた。
「そうですね…。」
そして、伏せていた目を急に青嵐に向けた。射貫かれたような居心地の悪い思いがして、青嵐はもう三回は磨いたに違いないグラスをもう一度磨くために手を伸ばした。“自分と歳のそう違わない女に、まるで思春期のがきみたいにびびっちまってる”自分がひどく滑稽に思える。
「こちらに座って、ご一緒しましょう。」
彼女の落ち着いた物腰は、何故か青嵐に断る隙を与えなかった。まぁ、断る理由もないのだが。青嵐が隣に座ると、彼女と向き合わなくていい分気は楽だったが、今度は彼女の香りが…九尾守の任から解放された彼女が何年かぶりに取り戻した香りが彼を誘惑した。言ってしまいたいという誘惑…また飲みに来てくれないか、そばに居てくれないか…できれば、死ぬまで傍に。別に見るものもないのに、青嵐はじっとカウンターの奥を見ていた。
「新しい世界へは、私一人ではいけそうにありません…こう見えて、寂しがりやなのです。」
彼女は俯いた。頬に差す赤みが、彼女が始めて彼に見せた弱みらしい弱みだ。不意に切ないものが青嵐の胸にこみ上げて、気付くと彼は南風にこういっていた。