飃の啼く…第20章-8
蝦夷のエエンレラは、吹雪が出現させた梟を肩に留まらせたまま、絶妙な声色で歌った。その歌は、狗族のものには間違いは無いけど、私が聞いたことの無いような響きや節があって確かに毛色が違った。そして、所々に動物の鳴きまねが入るたび、舞台上で煙が上がり、その中から鹿や、テンや、鷲に、兎や鼠が姿を現した。熊が現れたときには、観客の歓声が最高潮に達した。そして、歌の最後、ふっとその声がやんだとき、彼自身が真っ白なキタキツネに姿を変えた。舞台上も、観客席も、水を打ったように新と静まり返る。彼はそのまま、じっと観客をみつめた後、舞台上から姿を消した。
これで、六長全ての舞が済んだ、最後に出てくるのは、京を中心とする近畿の長…。
祭囃子の調子が変わった。舞台上には全ての長が集まって、中央に空を残したまま並んで控えていた。鈴の音が、彼女の足音一つ一つを彩るように鳴り響く。彼女は歌も歌わず、舞も踊らない。なぜなら、彼女の出現こそが祝福なのだから。
「あ…あの人…。」
彼女の両脇には、狛狗族が付き添っていて、その威光にさらなる重厚さを添えていた。
「狗族八長の一人にして元締さ…。」
彼女は、見えなくとも美しいと断言できるその顔を、幾重にも重ねたベールで隠し、ゆっくりと舞台中央に立った。
彼女は、ほっそりとした指を、夫婦役の二人の、たれた頭(こうべ)にあて…それが最後の祝福となった。それ以外の何者も要らないほど、彼女の存在は圧倒的だった。
「あの人…誰なの?」
カジマヤは首を振った。
「誰も知らないんだ…噂では、もう千年も生きてるとか…」
千年?と声を上げそうになった私を黙らせたのは、またしても調子を変えたお囃子だった。
近畿の長は再び舞台の奥に姿を消し、取り残されたような観客と、舞台がただただ桜の舞う夜に幻のように浮かび上がっていた。
そして、長が一人ずつ舞台の奥に姿を消し、最後に残った二人もついに退場した。
最後の笛の音、最後の太鼓の響き、最後の鈴の余韻が、春のぼんやりとした大気に吸い込まれて消えると、会場からは、かなり遠くのほうからも大きな拍手が起こった。それはいつまでも鳴り止まないのではないかと思えるような、長い、長い拍手で…。
見上げた朧月さえ、微笑んでいるように見えた。
「さ、兄ちゃんを迎えに行ってきなよ!」帰ろうとする人の波に逆らって、カジマヤが私の背を押した。
「う、うん、ありがと…!」
舞台の裏は慌ただしくて、あえてその中に入ろうとする私を、係の人が一瞬怪訝そうに見た。この目で何人ものファンの立ち入りを断念させてきたに違いない。
「あ、あのっ、飃の妻ですけどっ…」
というと、彼は快く飃のいる部屋を教えてくれた。木の廊下は、楽手や裏方の人でごった返していて、明らかに部外者の私は、ここへ来たことを半ば後悔しながらなんとか言われた部屋に着く。
舞台上で見た飃は何だか別人のようで、いまさらながら緊張してしまう。引き戸の前で「ふう!」と息をついて、手をかける。