飃の啼く…第20章-6
『昔々、男がいた。
その男は武芸に明るく、全国を回っては
悪事をなす怪を成敗していた。』
神楽歌は、もちろん古語だったけど、要約するとこういう意味だ。
『ある日、男が訪れた村で
女が橋の上に立っているのを見る
その女はたいそう美しかった』
そこに立っていたのは、身体の線も露な薄衣をまとって立っている色っぽい女性だ。真っ白な狐の面をかぶっているから、多分狗族なのだと思う。
『男が結婚を申し込むと 女はいった
もしあなたがこの村に悪さをする者を
成敗することが出来たなら
私のこの身をささげましょう』
彼女の声はか細いようで凛と響いて、会場は耳を澄ます限り静寂に包まれた。
そう…これが狗族の歌の持つ力なのだ。このお祭りを見に、遠方から沢山の人が訪れるというのも、改めて考えれば自然だ。皆この歌の持つ力にひきつけられてしまう。
『男は見事 怪異を退治した
すると女はその正体を現し
自分は狐の化身で
この村は狐たちの村だという
男はそれでも女を妻に娶り
この国の全ての狐
そのほか諸々の狗属を祀る神社の主となった。』
怪異…。舞台上で怪異をあらわしていたのは、真っ黒な布をかぶった黒子。そう。人間が澱みの姿を見ることが出来たのなら、ああいう姿に映るだろう。もしかして…もしかしてこれは…
『男と女が愛をかわした晩
二人の身体から光が迸り
二つの神器が姿を現した
その神器で二人は この国に平安をもたらした』
この一節が歌われ終わるころにはその場にいた狗族の目は私に注がれていた。そうなんだ。
この神楽こそ、私と飃を導いた伝説そのものなんだ。
私は、目の前でまさに今、月が満ちるのを見たような興奮に包まれて、戦慄していた。やっと吐き出した息は震えていて、世界がとっくに数秒先へ進んでいたのにも気づかないほどだった。
『この国に住まう神々は二人を
二人の住まうこの地を
二人の治めるこの社を祝福した
そして二人は、代々神楽を舞い継いだ』
すると、舞台上に立っていた妻役の女狗族が、澄んだ声で歌って風を呼んだ。桜の花びらが舞台上に舞い込む。すると舞台の奥で煙が上がって、琉球狗族の長、ウティブチが現れた。シーサーの面と琉球の民族衣装に身を包んだ長はあいかわらず矍鑠(かくしゃく)としていて、ピンと伸びた背筋で、夫婦役の二人に祝いの三線(サンシン)を奏でた。観客は、いきなり現れた老人の登場と、祭囃子と三線の見事な調和に喝采を送った。
ついで現れたのは、(隣のカジマヤが教えてくれた)九州狗族の長、ウラニシ。彼は煙の中から踊りでるなり、舞台の両脇の松明のなかに丸薬を投げ込んだ。炎は轟と燃え上がり、真っ黒な煙が立った。彼は狐の面越しに低い、よく響く声で空気を震わせて、その煙を宝船の形に変える。船は、目を見張る観客の上を一周して消えた。