飃の啼く…第18章-1
「いいかね、茜…。」
英澤茜は恐怖などしていなかった。恐怖などするはずもない。物心付いたときから、彼女はたった一つの目的のために生かされてきたのだから。
―八条さくらという女子の友人となるべく近づいて、彼女の様子を逐一報告すること。
何故そんなことをしなければならないのか、彼女に知らされることはなかった。彼女に求められていたのは、従順に言われたことをこなすこと。
「とうとう君に役立ってもらうときが来たようだ…。」
獄の香でじわじわと正気を崩壊させられた茜に流す涙などない…。初めて出来た友人を裏切るような行為を拒む彼女には、容赦なく自白作用を持つ薬香が施された。今や、茜は薬など無くても獄の命に従う、傀儡(かいらい)に成り代わった。
「…あの子、もう折れたのね。」
「ああ。お前が辛抱強く着いていてくれたお陰でな。」
獄の乏しい表情が、一気に意地悪な笑みに変わる。
「狐!」
ぞんざいに呼ばれて、彼女の家の寝室から居間の中に入ってきたのは風炎だった。
「何をもたついている。」
「一応、着替えは居るだろう。」
「甲斐甲斐しいことだが、無駄だ。どうせすぐにそんなものも必要なくなるのだからな。」
と吐き棄てた。そして茜に向き直ると、冷たい、真っ白な手を差し出した。
「では行こうか?君の最後の旅に。」
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今日…何月何日なんだろう。
今は何時なんだろう。
そんな問いを、言葉にする気力も無いまま、結局どのくらいの時間が私の元を過ぎ去って言ったのだろう。
空は青く、やっとつぼみを開いた桜が、優しげな風に揺れていた。
いいね、あなたは毎年何も心配せずに美しく咲くことができて。
カーテンが揺れて、一瞬の後、私の伸びた髪を、風が梳(す)いた。
私はベッドの上で、寝巻きのままで、壁にもたれて外を見ていた。見るのならば、テレビよりも外の景色のほうがいい。テレビには、憎しみの要素が多すぎる。私の中に棲んでいる闇を肥え太らせるだけの憎しみが、あまりに…。
「さくら。」
飃の声が、私を暗い思念の渦から引き上げた。
「少し出かけるが…平気か?」
「…うん…」
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