『彼方から……』-4
「しかし、克樹くんの父親は凄い人だな母さん。同じ子を持つ親として、とても真似など出来んよ。」
「ええ……覚えていますわあの言葉ですね?」
「ああ、恨み事の一つでも言われると覚悟していた。なのに、うちの克樹を褒めてやって下さい。美宇さんを守ったのですから、大切な人を守る盾となれたのですから……だったな。」
その言葉に俺は胸が痛んだ。そして今更ながらに自分が死んだのだと強く感じていた。
「でも、あの娘は今も自分を責めているのよ?自分のせいで克樹くんが死んだんだって……あなた、私達はどうしたらいいの?」
美宇が自分を責めている?そんなまさか……
「わからん。私達に出来るのは、美宇が笑顔を再び取り戻してくれる事を祈るしかあるまい……」
おじさんは頭を振って答えると再び深い溜息を付いていた。
美宇…美宇…違うんだ。
自分を責めたりしないでくれ……
心の中で呟きながら、俺は美宇の部屋へと急いだ。
『美宇!!』
ドアノブに手を掛けた恰好のまま、俺は美宇の部屋の中へとドアを擦り抜けた。いつもと変わらない部屋、そして俺の目の前には美宇がいる。だけど……
目にした光景に俺の息が止まった。
ベッドに寄り掛かる様に床に座ったままの美宇の髪の毛は千々に乱れ、眼差しは虚ろに宙を見つめている。そしてあれから三日しか経っていない筈なのに信じられない程やつれた頬……
お前、寝てないのか?
そう誰もが思う程にはっきりと目の下に隈が出来ていた。
「ミャ〜ン……」
そんな美宇に甘えるみたいに子猫が頭を擦り寄せている。
『ポチ!!お前、美宇のところに居たのか!?』
美宇に擦り寄る『ポチ』と言う名の子猫。あれは、二ヵ月ぐらい前に俺と美宇が拾った捨て猫だった。
そぼ降る雨の中、段ボールの中で小さな身体を震わせて、そいつは懸命に鳴いていた。親猫から離れた不安、飼い主に棄てられた孤独を訴える様に、まるで自分はここに居るんだと叫ぶみたいに鳴いていた。
『ねぇ克樹……あんなにちっちゃいのに捨てられてるなんて可哀相……』
『ああ……、でもな美宇。可哀相ってだけで拾う訳にはいかないぜ?どんなコトでも覚悟が必要なんだ。もし拾うなら、最後まで面倒見るって覚悟はあるのか?』
冷たい言い方かもしれない。だけど一時の感情で飼う訳にはいかないんだ。
『でも……』
子猫に近付き抱き上げようとする美宇の腕を引き、俺は静かに首を振った。けれど、美宇は俺の手を振りほどき子猫を抱き抱えると目にいっぱいの涙を浮かべて俺を見た。
『この子は懸命に生きようとしているんだよ?克樹も言ってたじゃない!須(すべか)らく人の出会いには縁(えにし)があるって。この子があたし達と出会ったのは縁なんだよ、きっと……。だからあたしは放っとけないよ!』
震える子猫を抱き締めながら美宇はそう叫んだ。
その瞳は抱き抱えられている子猫と同じ目をしているみたいで俺は空を見上げたまま大きな溜息を付いた。そして美宇を見つめると
『俺の小遣いはコイツに喰われちまうんだからな?デート代は時々奢ってもらうぞ美宇。』
そう言って笑った。俺の言葉に美宇の表情はみるみるうちに笑顔へと変わってゆく。
『よかったね!お前飼ってもらえるんだよ?ホントによかったね!!』
ずぶ濡れの子猫を抱いて服を汚したまま、涙をぽろぽろ零して美宇は子猫の頭を撫でていた。
『さっそく名前を付けなきゃな。ポチってのはどうだ?』
『そんなの嫌よ、犬みたいじゃない……。じゃあチビって言うのはどう?』
『でっかくなったらチビじゃないだろ?コイツの名前はポチに決めた!!』
『え〜!なんか変だけど、克樹が決めたんだから仕方ないかぁ……じゃあ、これからよろしくねポチ。』
しばらく恨めしそうに俺を見ていたけれど、諦めたのか子猫の名前を呼びながら美宇は楽しそうに笑った。
けれど、どうした訳かポチは俺と美宇にしか慣つかない。一番慣ついていたのは俺にだった。俺にだけお腹を見せて、そのお腹を撫でてもらうのがポチのお気に入り。俺が死んで家族にも慣つかないポチのことが気掛かりでもあったけれど、こうして美宇のところに居ると知って俺は少しホッとしていた。
「ミャ〜ン……」
………ピクン………
その鳴き声に反応する様に宙を見ていた美宇の顔が、ゆっくりとポチの方を向く。力無く持ち上がった右腕が弱々しく頭を撫でると、ポチは満足げに喉をゴロゴロと鳴らしていた。