飃の啼く…第17章-1
「お客様、貴方には見所が御座いますな…実に汚れていらっしゃる。」
消毒液の匂いが鼻に付く。気に入らない場所だ。かつては病を治すための場所であったこの白亜の塔…否。本来は白かった建物。今はむしろこの地自体が病んでいるようだ。所どころに残る血の匂い。医療技術と化学の両方が生み出した、「薬」と呼ばれる化学物質を投与された人間達の不自然な体臭は、この建物を管理する人間が消え果てて十数年経った今でもはっきり嗅ぎ取れる。
「何を言ってるんだ!?はやく探屋を出せ!」
ドアの向こう側にある小さな部屋の中で、人間が喚く。対峙するのは、やはり人間。いや…どの人間よりも人間らしくない生物だ。不死の身体に、快楽だけを与え続ける…白いスーツは、この建物と同じ様に…その色ゆえに病的な印象を与える。
「『規約』を読まれませんでしたか?2度目の依頼は受けかねると。」
馬鹿丁寧な口調に軽蔑と、微かに面白がる響きを滲ませ、獄は言った。
「そ…そんなものはしらん!読んだかも知れんが忘れた!良いから早く奴を出さんか!どうしても探してもらいたい物が…!」
「シーッ」
奇妙に耳障りな破擦音が男を黙らせる。
「では、これも覚えてらっしゃらない…?『規約違反をしたお客様の、身の安全は…』」
部屋の外に居ても解る。人間が今どんな顔をしているか。
そして獄が、その男と正反対の表情で…嬉しそうに微笑んでいるのが。
「『保証いたしかねます。』」
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「もう知らないっ!」
どうして涙というものは、哀しくなんか無くたって勝手に流れてくるんだろう。泣きたい気分じゃない…今私は、とても悔しくて、情けなくて
飃が私のことを信じてくれないから。
…そうか。だから哀しいんだ。
だから、泣いてるんだ。
私は振り向かずに家を飛び出して、重い金属の扉が閉まる音を聞く前にマンションの薄暗い階段を駆け下りていた。日はとうに沈んであたりは暗く、街灯の明かりだけが頼りなく黒い路面を照らしていた。
―今、上を見上げれば、ベランダからこちらを見下ろす飃の顔が目に入るかもしれない。どんな顔で?申し訳なさそうな表情か、怒っているか…あるいは、失望かもしれない。
最後の考えが、私に上を向かせるのを押しとどめた。それに、本当に引き止めたいのなら飃にはそれが出来る。なにせ、彼は狗族だ。ほんの数秒で私に追いついて「行くな」とも、「どこへなりとも行くがいい」とも言える。少なくとも、行かないで欲しいのなら追いかけてくるはずなのだから、私は憤然と前を向いて駆け出した。いくあても無いまま。
どうしてこんなことになったのだろう。まるで、安いドラマに出てくるヒステリックな妻の役のように、しつこく飃に追及したからだ。
でも、それにだって理由はある。
事の起こりは、一週間前の学校で…