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神の棲む森
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神の棲む森-4

女性は想像していたよりも、三倍増しで騒がしかった。
「ちょっと!何で私に言ってくれないのよ!信じらんない。まず知らせるべきは恋人でしょーが」
次々と飛び出す非難の怒号とは裏腹に、彼女の表情は笑っていた。それだけで、僕は彼女に惹かれた理由を理解してしまった。
「あ、あの。まだ完全に回復したわけじゃなくて」
「なになに?後遺症とか無いの?あ、講義の内容は任せといて。俊が寝てる分、私が講義中起きてノート取っておいたから」
それは当たり前なんじゃないだろうか。
「後遺症ね。記憶がはっきりしない」
「え?」
「あんまり思い出せない」
マジで?
言葉にはしていないけれど、顔が言っていた。『マジで?』
「うん、マジで」
「私のことも?」
「いや」喜ぶ顔。
「君の事が重点的に思い出せない」しょんぼりする顔。
とても感受性豊かな人だ。多分その遠慮の無い振る舞いに、僕は癒されていたのだろう。
『おい、俊一。お前には勿体無い彼女じゃないか』
この世界にいた自分に投げ掛けた。受けとめるものの無い言葉は、どこにも反響することなく真空の闇の中に溶けた。
「じゃあ、改めて自己紹介するね。私は美杉礼子、あなたと同じ大学2年生。趣味は食べること、寝ること。あとショッピングも好きだな。あとねぇ」
僕は、この世界に生き続けるのだろうか。
穏やかな関係を取り戻せそうな親父と、自分のことを想ってくれるこの子がいる、この世界に。
映画見るのも好きだしぃ。
いつの間にか組まれている彼女と僕の腕。
今から僕が彼女を好きになれば、全てうまくいくんじゃないだろうか。
「聞いてるの?」
「ん?もちろんだよ」
「じゃあ私の趣味って何か言ってみて?」
「食べることと、寝ること」
「後は?」
「酒とギャンブル」
「・・・後は?」
「寝たばこと、徹夜麻雀」
「・・・・・・・・あとは(怒)?」
「終日人間観察に、路上ファイ・・」
バキ!!「痛ぁ!」
延髄に手とうを叩き込む女性が一人。横で悶絶する僕。
「後は?」
「路上ファイ」バキ!「とおおおううぐ」横で悶絶する僕。
「後は?」
「ショッピングとか、テニスとか映画鑑賞デスヨネ?」
「うん。我ながら女性らしい趣味よね」
絶対に路上ファイトは趣味の欄にあるはずだ。

「私たちが初めて会った場所、覚えてる?」
僕は首を横に振る。覚えているも何も、そんな場所、過去は僕には存在しない。
「そう。私ね、大学の正門の先にある喫茶店でウェイトレスのアルバイトしていたの」
「喫茶店って、lagrande(ラ・グランデ)?」
「そうよ。そこまで分かっていて私のこと覚えていないって、何か嫌がらせとしか思えないんだけど」
「こんな手の込んだ嫌がらせはしないよ」
公園の中を二人並んで歩く。とても良い陽気だ。
「そこでね、働いて半年くらい経って初めてマスターからコーヒーの淹れ方を教わったの。そして初めて出した相手が、あなただった」
どこまでも続く青を見上げながら言う。その顔は幸せそうな笑み。
「その時の俊はねぇ、ひとりで静かに本を読んでた。あれは多分小説ね。カバー賭けてあったからタイトルは分からなかったけれど、私、コーヒーを届けたときに聞いたの。『何を読んでるんですか?』ってね」
「いつも客と話してるの?」
「そのときはね、何か特別だった。初めて淹れたコーヒーを飲んでもらう相手だったから、変に舞い上がっちゃたのかな」
公園を抜けて、繁華街に近づく。
ううん、違うなぁ。
彼女は呟いた。「やっぱりその時は、特別な何かを感じたのよ。人が惹きつけあうって理屈じゃないでしょ?あの時、あの場所で出会って、帰り際に『とても美味しかったです』って言ってくれた貴方を好きになったのは、きっと偶然じゃないと思う」
そうなのだろうか、僕は考える。
その時、その場所で、君が僕に出会ったのが偶然じゃないのなら。
この時、この場所で、僕が君に出会ったのは。
運命なんて信じない。
けれど僕は世界を越えて、僕を愛する誰かに出会った。
「どうしたの?」立ち止まる僕を見て、彼女は心配そうに僕の顔を覗き込む。
好きになってはいけないのだろうか。
世の理を崩して、君を。
横で揺れる黒髪に無言で囁く。
ねぇ、僕は、君を好きになっていいのかな。
「映画、見にいこ」
礼子は僕の手を掴み、繁華街に連れ出した。


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