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神の棲む森
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神の棲む森-3

「正直、お前との会話は多くなかった。けれど今は後悔しているよ」
コーヒーを手にしながら、窓の外を見遣る。
「探してもな、家族で出かけた写真がほとんど見つからんのだ」
僕の顔を見ないのは、泣いているからかもしれない。
もし、世界が本当に無数に存在しているのなら、どうして彼だけがこんな世界に落とされてしまったのだろう。
「苦労したんだよ、君江を愛し、お前を生み、育て、ここまで来るのに。本当に苦労したんだ。それなのに失うのは一瞬さ」
お前にはまだ分からんかもしれんな、と乾いた声を洩らした。
僕の知らない世界で、見たことのない父の弱さを知る。
そして僕のいなくなった、元の世界にいる父を思う。
「親父、僕は、」
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴る。
「ちょっと見てくる」言って親父は部屋を出た。
自然に開いた僕の口は、どんな言葉を紡ぐつもりだったのだろう。
不信感の塊だった彼に、僕はなんて声をかけるつもりだったのだろう。
言葉を持て余した僕は、机に立てかけてある写真に目を遣った。そこには三人の笑いあう姿があった。親父が家族との時間を大切にし、母が小学校あがりたての息子を見つめ、僕は父親の姿に未来の自分を重ね合わせようとしていた、遠い時代。十年以上の時を経て、変質した互いへの眼差し。
色褪せた、その写真。
探しぬいて、やっと見つけた亡き家族との思い出が、たった一枚。
取り返しのつかない時間だけが、僕らの前に横たわり、僕は写真たてを伏せる。
美化するには希薄すぎる絆に。
僕は目を伏せるのだ。


「俊一」
親父は困ったような顔で部屋に戻ってきた。
「誰だったの?」
「美杉さんだよ」
「みすぎさん?」
「ほら、お前が大学内でいつも一緒だった三杉さんだ。忘れたわけじゃないだろう?」
僕は全く知らない事情に困惑する。
「いや、知らないな。元の世界には美杉なんて人はいなかったよ」
「・・・そうか。それは困ったな。お前、彼女に姿を見られたろう?退院したなら会わせてくださいって聞かないんだよ」
「そう、でも良いのかな?勝手に外に出て、その・・・」
死人なのに、そう言おうとした僕を親父は制した。
「別に問題は無かろう。何をしたってお前の人生だ、咎めるものなどおらんよ。ただ」
「ただ?」
「・・・彼女は毎日病室に来ていたよ。会わせるわけにはいかなかったけど。お前がもし、彼女のことを本気に思っているのなら・・・いや」
どうもややこしくていかんなぁ。
溜め息をついて親父は続ける。
「もし、この世界にいたお前が、彼女のことを本気で愛していたと思うなら、彼女の為に別れておくべきだな」
彼女が好きになった僕は、今の僕ではない。彼女は死んでしまった誰かを愛した。
「分かってるよ。第一、別れる、別れないの話じゃないさ。僕は彼女と付き合ったこともないんだからね」
そりゃそうだ。親父はうっすら微笑む。その様子を見て、僕は懐かしさを覚える。こんな他愛の無い話をするのは、いつ以来だろうか。親父も同じ空気を感じ取ったのだろう、互いに無言に、その雰囲気を受け入れた。
「ほら、行ってやれ、プレイボーイ」
はっ、僕は短く笑い部屋を出る。
「俊一」その際に声を掛けられ、ドアノブを回す手を止める。
「お前は今、とても不安定な存在だ。それだけは忘れるな。何かあったら直ぐに戻ってくるんだ」
「あぁ、分かったよ、父さん」
言って部屋を出た。


俊一は玄関を出るなり、女性に抱きつかれていた。そして困惑の表情を終始浮かべながら、街の方へと歩いていった。その様子を窓越しに見つめながら、俊一の父親、寛一は考える。
俊一はおそらく近いうちに、この世界を去っていくだろう。Heisenbergの不確定性原理とは時間と空間の積を有限にするものだ。だから俊一がこの空間に存在できる時間は、きっと限られている。そして私に出来ることも、とても限られている。
「父さん、か」
去り際に発した響きは、懐かしい香り。その残り香を、寛一は享受するのだった。
トゥルルル
電話の音が彼を引き戻す。机の上の受話器を掴む。
「はい、安西ですが」


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