Larme〜lonely liar〜-3
―30分後、家に帰った私は、いつもの様にお母さんに怒鳴られた。
殴られた。
でも、お母さんの涙は、乾いていた。
痛いけど、嬉しかった。
あれから一週間。
私は、怒鳴られる事も、殴られる事もなかった。
お母さんは、なぜか不気味な程優しかった。
今思えば、この時になぜだろうと考えるべきだったのかも知れない。
…そうすれば、今も2人、一緒に幸せに暮らせたのに。
あの日、珍しく出勤が遅かったお母さんは、ランドセルを背負った私をきつく抱きしめた。
不思議そうな顔をしている私を見つめて、そっとおでこにキスをしてお母さんは言った。
「いってらっしゃい」
私はなんだか嬉しくて、満面の笑みを浮かべて家を出た。
「行ってきます!」
閉じたドアの向こうで、彼女が泣き崩れている事なんて、もちろん知らない。
『いってらっしゃい』
なんでもない一言。
きっと、みんなには当たり前な一言。
それでも、私にとっては今までで最高の幸せだった。
私は、少しだけお母さんとの距離が縮まった気がしていた。
少しだけ、溝が埋まった気がしていた。
少しだけ、傷が癒えた気がしていた。
…初めて、お母さんの愛を感じた気がした。
その日はテストの日だった。
その日のテストも百点だった。
いつも百点なのに、その日はやけに嬉しくて、テストを握りしめて走って家に帰った。
ボロい階段を駆け上がり、ドアノブに手をかけた。
…開いている?
私は、今朝のお母さんを思い出す。
きっと休みなんだ、と、にやにや、ドキドキしながら、ドアを、
…開けてしまった。
もう、後戻りは出来ない。
むせかえる様な異臭。…悪臭?
と、うなだれた母。
今でも鮮明に覚えている。
畳に広がった大量の血。
…その、赤黒い液体に浮かぶ、使い慣れた包丁。
膝が、ガクガクしてとても立っていられない。
私は、そこに座りこんでいた。
何が起きたのか、全くわからない。
頭の中は真っ白で、何も考えられなかった。
しばらくして、私は何かに取り憑かれたように走り出した。
助けてっ
あずさっ!!
何度も心の中で叫びながら…
あずさの病室に、この前と同じ札はなかった。
けど、そんなものを確認する余裕なんて私には、なかった。
乱暴にドアを開け、叫んだ。
「あずさぁっ!!」
そこにいたのは、かなり痩せていたけど、間違いなくあずさだった。
彼女の顔を見て私は、やっと涙を流した。
「…あずさぁっ」
「来ないでっ!」
ビクッ
駆け寄ろうとした私に、あずさが叫んだ。
こんなに大声を出すあずさは初めてだった。
私は、驚きのあまり、体が石になったように動けなかった。
「…あずさ?」
「…やめてっやめてやめてやめてっ!どうしてここに来るのよっメグミ!」
「…え?」
「来ないでよっなんで来るのよっ私を迎えに来たの!?」
「…あずさ?」
「出てってっメグミの顔なんて、二度と見たくないっ」
あずさは、叫びながら、本や、枕や、その辺にあるものを私に投げつけた。
今までに見たことのないあずさだった。
…どうする事も出来ない私は、病室を出るしかなかった。
フラフラと、おぼつかない足取りで歩き始めた。
恵…メグミ?
私はケイ。
メグミって…?
聞き覚えのある名前。
でも、思い出せない。
…考えられないのかも知れない。
フラフラとたどり着いたアパートの前には、パトカーと救急車と人だかりがあった。
もう、何が何だかわからなかった。
私は立っていられなくなり、その場に倒れる。
今日は、いろいろありすぎた。
きっと夢。
全て夢。
目が覚めれば、いつも通り。
何もかも夢。
…夢であって欲しい。
この世は無常で無情。
本当は、わかっていた。
みんな現実。
でも、辛すぎて見れなかった。