飃の啼く…第10章-13
「う……」
聞き覚えのあるうなり声。私が知っている中でも、かなり「狼」っぽいうなり声がする。自分が狼になった夢でも見ているんだろうか…そう思って漏れた笑みは、次の飃の一言で完全に消えた。
正確に言えば、一言ではなく一声だ。私に理解できる言葉ではなかったから。
「+*‘>?・。;@」
「…は?」
狗族の言葉である上に、よって呂律(ろれつ)が回っていないので何を言っているのかは完全に解らない。本当に酔っ払っちゃったんだ…そう思って再び笑顔になる。今度はさっきのより意地悪な笑顔だ。
「;#+:@*¥。;……」
耳に聞こえたままを説明し要素するのすら難しい狗族の言葉だけど、あえて描写するならば、飃の言葉は歌のようだ。起伏のおおいアクセントを、歌の旋律のようなリズムとメロディーで滑らかに発音する。聞いていて心地いいと感じるのは、私に狗族の血が流れているからというだけではなさそうだ。これが寝言ならば、いつまでだって聞いていたいと思ったけど、飃はベッドから体を起こそうとしている。つまり、起きているのだ。
「ちょっと、あれだけ飲んだんだから…」
もう少し横になっていたほうがいい。そういおうと思って覗き込んだ飃の顔は、飃の顔ではなかった。
「!?」
いや、冷静に見れば飃の顔なんだけど…酒を飲んでとろんとしているはずの彼の目は、獲物を求めて森をさまよう餓えた獣のように爛々(らんらん)と輝いていた。そして、その獣は獲物を見つけた。
―私だ。
酷くゆっくりと、その獣は私に向かってきた。逃げられないのはわかっているとでも言いたそうに。私は、その時初めて、飃に純粋な恐怖心を抱いた。彼が内包している深い深い闇の、別の一ページ。彼が決して私に見せなかったもの。見せたくなかったもの。そして、私だって、出来ればこんな飃は見たくなかった…
ベッドの上で、慎重に身をよじって後ずさる私の目を、彼は見ようとはしなかった。彼の目は、私の喉笛に。その下に流れる血と、その味を欲しているよう。今度こそ本当に恐ろしいうなり声が、私の心臓を凍らせる。いっそ本当に凍ってしまえば、彼も私に対する興味を失ってくれるに違いないのに。
「+#Ψξ…。」
まるで飃のものとは違う声が、私の呼吸さえ停止させる。何よ、わかんないわよ…どうしちゃったのよ、飃…!?
私は、思考を混乱にゆだねる一瞬前、この異常事態は、さっきの鎌に塗ってあった毒によるものだということを理解した。飃の「獣」という側面を露にする。それがあの毒の作用…それなら、私が急ににおいに敏感になったのもうなずける。私の中の半分の血が反応したせいだ。