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電話のない探偵事務所
【その他 推理小説】

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電話のない探偵事務所(前)-4

「もうじき雨が降るでな」
 占い師は悪びれる様子もなく、そう言った。
 私は無言で、その場を後にした。



 そこには一週間張り込むことにした。おあつらえ向きの喫茶店。
 年配のウエイトレスがしきりに、こちらをうかがっている。不審と軽蔑がほど良くブレンドされた目つきは、コーヒー一杯で居座る客へのあてつけだろう。だが、さすがに客商売らしく、わずかながら愛想と遠慮が混入していた。それでは、私には通じない。
 調査対象は向かいのオフィスビルにいた。中堅の商社で、この時間帯は当然営業中にあたる。
 一木洋平、三十八歳。整った顔立ちをしている。あの女と似合いだと言えないこともない。
 すいぶん昔の写真のため、一度確認のため、本人とすれちがった。少し浮わついた感じのする男だった。年齢ほどのおちつきがなく、当時と印象はさほど変わっていない。不貞を働くような大胆なタイプには見えないが、かといって後ろ暗さを感じている様子もない。懲りないことに違いないが、不満やストレスを溜め込む性質ではないのかもしれない。
 水曜日に会社の女性。金曜日には近所に勤めるキャバクラ嬢。仕事終わりに、それぞれ別の相手と逢瀬を楽しんでいるらしい。
 私はそれらの情報をもたらした女との会話を思い返していた。

「調査期間はどうされますか。経費は実費になります。これだけ、時間と場所がはっきりしているのなら、曜日をしぼって調査したほうがいい。それだけ安く済みますから―――これから先はそう難しくはない」
 私の提案はお気に召さなかったようだ。一木の妻は、描いたような眉をおもいきり顰めた。
「いえ、これから一週間毎日お願いしたいわ。たしかに出費は痛いけど、私たちの、これからが懸かっているの。出し惜しみしている場合ではないのよ」
案外馬鹿ではないようだ。私が言外に言いたいことはわかっているらしい。これだけ、わかっているのなら、あとは自分で調べてみたらどうだ。私はそれが喉まで出かかっていた。
 それに対して、彼女は的外れながら機嫌を取ってきた。無駄とも思える割高料金を支払うと言っている。
「ひとつ、聞いてもいいかしら」
 彼女は火の消えた煙草を執拗に灰皿に押しつけた。顔とは違い、手の苛立ちまでは隠せていない。
「さっきから聞いていると、探偵さんは仕事を請ける気がないように感じるのだけど、どうかしら?」
 私は何も答えない。つづけて、彼女がしゃべらざるを得ない。
「ひょっとして、私のことをなにか疑っていらっしゃるの?それとも、私のような女のことが嫌い?」
 彼女は目に涙をためていた。私にはそれが本物かどうかを確かめる必要がある。もっと言えば、涙の奥にある本音を引き出したい。
「それとも、主人がよその女をどこかに連れこむのを自分で見張れとでもいうの?」
 私は女から目を離さなかった。彼女の言葉つきこそ、きつくなっていたが、手の震えは止まっていた。
「それに私は―――」
 私はその先を引き取るように答えた。
「奥さんは車の免許を持っていない。だから、例え尾行するにしても支障がある。そうでしたね」
 それは本人確認のときに聞いていた。身分証明は健康保険証でおこなっていた。
 彼女は黙ってうなづいた。そして視線を下げたまま、涙をぬぐった。
「いいでしょう」
 私は取り澄ました顔をつくりながら、言った。
「私は仕事を選り好みする主義ではない。お引き受けしましょう。お気を悪くさせたことは申し訳ないが、これも調査の一環です。そこはご了承いただきたい」
 決して、情にほだされたわけではない。それがわかっているからだろう、女は恨みがましい目で、私を睨んだ。



 月曜日と火曜日は予想通り何もなかった。
 定時になると、計るように一木が会社を出た。契約しているパーキングは少し離れた場所にある。私は大急ぎで自分の車に向かう。
 帰宅したのを見届けても、しばらくはその場にとどまった。だが、それ以降、消灯まで彼が家を離れることはなかった。


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