Penetration-5
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
あの日と違うのは、マスターの声だけでなく、女の子の声が聞こえた事だ。
「こんにちは」
仁科の顔を見た女の子は満面の笑みを見せる。
仁科も自然と微笑んでいた。
「あれから、ひと月ぐらいか。随分と笑顔が板についてきたね」
「あ……はい…」
「だいぶ馴れましたけど笑顔なんて、初めてですよ」
マスターが割って入る。
「そいつは光栄だな」
「ご注文は?」
「そうだな。ホットを」
仁科はカウンターに腰かけた。
「そろそろ就職試験だろ。いくつか受けたの?」
「はい、今月から2社ほど応募したんですけれど……」
どうやら書類選考で落とされたらしい。
「確かに建築業会は不景気だからなあ」
彼女の顔が曇る。
それを見た仁科は励まそうと、
「まあ、まだ1ヶ月以上あるからさ。出来るだけたくさん受けたらいいさ」
そして話題を替えた。
「この間言っていたサグラダファミリアは現物を見た事は?」
「いえ……ありません」
「オレは見た事あるよ。高校卒業した時、バイトした金で。もっとも、貧乏旅行だったけど」
「どうでした?」
そう訊いた女の子の目は輝いていた。
「圧倒された。が、一番適切かな。同時に嫉妬した。ガウディの才能に」
「私も行ってみたいです」
その表情は明るく華やかで、先ほどまでの落ち込んだ雰囲気は消え失せていた。
「外国でなくても著名な建築物はあるよ。平等院鳳凰堂や清水寺なんか素晴らしいよ」
仁科もいつの間にか目を細めて喋っている。
「やけに、お詳しいんですね。建築物に」
マスターがドリップしながら仁科に声をかけた。コーヒーの香りが店内に漂い、鼻孔を刺激する。
「ええ、好きなんですよ」
仁科は一瞬、建築会社に勤めてる事を言おうかとも思った。しかし、止めておく事にした。建築会社に入ったが、仕事は営業廻りをしているとは言えなかったからだ。
バラ色の将来を夢見る彼女に、現実を教えるのは酷すぎる。
仁科はコーヒーを飲みながら、あたり障りの無い会話に終始した後喫茶店を後にした。