『異邦人』-7
「な、泣くなよ。ダメなんだ俺、そーゆーのって……」
おろおろと光は戸惑う、『だって、だって…』と繰り返しながら、ルーンは泣きじゃくっていた。恐れや不安から解放された安堵感は涙となって、後から後から流れ続けていく。
バフッ！！
突然、飛んできたバスタオルがルーンの顔に当たった。もちろん、光が投げたのである。
「ほら、シャワーでも浴びて、さっぱりしておいで」
「うん！」
バスタオルを頭に乗っけたまま、ルーンはにっこりと微笑んだ。
「それと……シャワー浴びてる間、出掛けて来るけど大人しく待ってろよ？」
「えっ？……どっか行っちゃうの？」
さっと表情が翳（かげ）り、不安げに彼女は光に尋ねる。
「靴だよ靴……。どっちにしろ、無いと困るだろ？すぐに戻って来るからさ……いいね？」
諭す様に光は言うと、ガサガサとタンスを漁り始めた。
「あと、着替えがわりに、これでも着ててくれ。」
ポイッとトレーナーを放り投げた後、玄関先でスニーカーを履きながら光は言った。
「誰が来ても開けるなよ？んじゃ、行ってくる。」
そう言って、扉の向こうに光は消えた。
一人、部屋に残されたルーンは何気なく辺りを見回す。ふと、机の上に写真立てがあり、そこには見知らぬ女性と楽し気に笑う光が写っていた。
「なんだ……彼女いるんだ……。いい人だもん、当たり前だよね。」
ふっと溜め息をついてルーンは立ち上がった。
………ズキン………
痛みが走る。でも、それは足ではなくて違うところ……
ルーンは包帯を外すと浴室に向かい、服を脱ぎ捨てて丹念にシャワーを浴びた。トレーナーに袖を通して部屋に戻るとルーンは、ちょこんと座る。
いつの間にか降り出した雨音が静かに耳に響く……
まるで、今の自分の気持ちの様に憂鬱な音色がルーンを包んでいた。
「光……遅いなぁ…」
ぽそりと呟き窓の方へ目をやり、ぼんやりと外を眺める。やはり目に写るのは見知らぬ風景だった。
ガチャッ！！
「ルーン！手伝ってくれないか？」
突然、大きくなった雨音と共に玄関先から光の声が聞こえた。ルーンが駆け付けると、そこには両手に荷物を抱えて困った様に笑う光がいた。
「急に降り出すんだもんなぁ……あ、これ向こうに運んでくれるかな？タオル、タオルっと…」
光は慌ただしくタオルを取るとガシガシと頭を拭いた。そのまま残りの荷物を抱えると首にタオルを掛けたまま、部屋の中へ歩いて行く。
「俺の趣味で悪いけど、服も買ってきた。」
畳にあぐらをかくと、煙草に火を付けながら光は言った。
「そんな！悪いよ……」
「いいんだ。安物だし、似合うといいけど……」
「そうじゃなくて……」
ルーンの言葉は途中で途切れ、目線が机へと泳いだ。視線の先を追うと、なるほどといった表情で光は小さく肩をすくめる。
「どうかな？あいつなら『貴男は、そういう人だから仕方ないんじゃない？』って言って、あっちで苦笑いしてるさ、きっと……」
「あっち？」
思わずルーンが聞き返すと、光は束の間、遠い目をして淋しげに微笑んだ。
「死んだんだ……２年前にね……。未練かな……あの写真だけ捨てられなくてさ……まだ。」
小さく光は笑う。まるで、過ぎ去った想い出を懐かしむ様に……
………ズキン………
再びルーンの胸が痛んだ。人は誰でも触れられたくない傷がある……。そんな事ぐらい自分にだってわかっている……しかし今、土足で踏み込む様に聞いてしまったと、ルーンは唇を噛み締めていた。
「ごめん……なさい。」
消え入りそうな声が聞こえた。光の目の前に俯いたまま、黙り込んでしまっているルーンがいる。光は小さく溜息をつくと、そっとルーンの頭を撫でた。
「莫迦（ばか）だな………気にするなよ。俺こそごめん……いつまでも、あんな写真置いといたから……。やっぱり、気になっちゃったか？」
コクリとルーンは頷いた。光は煙草を取り出すと火を付ける……ゆっくりと吸い込み、まるで深呼吸でもする様に煙を吐いた。
「振られたとか、別れたとかなら、もっと早く処分してたんだろうけど、突然だったから気持ちの整理がつかなくてさ……情けないけどね」
「そんな事ない！！」
光が……いや、声を出した本人の方が驚く様な大きな声でルーンは叫んだ。
「彼女の事、愛していたんでしょ？情けなくなんかないわ！」
ルーンの強い言葉に思わず光は苦笑した。
「なんで笑うの？……あたしが子供だから？」
『愛している』だなんて、はっきり口に出してしまうルーンに苦笑いしただけの光だったが、変な誤解を招いてしまう。
「違う違う！あんまりにもはっきり言うもんだから、照れただけさ。」
一瞬、笑った光だったが、すぐに真顔になり言葉を続ける。