『異邦人』-8
「……そうだな、愛していたよ彼女を……。だから、家を出たんだ……彼女との想い出が多すぎて辛かったから……。だから、人との関わり合いも避けてきた……誰といても彼女の面影を追ってしまうから……」
「…………」
その顔はなんて言ったらいいのだろうか……懐かしさと寂しさが混じり合った様な表情に、ルーンは返す言葉が見つからなかった。ただ黙って光を見つめていると、それだけで切なさが溢れて自然に涙がこぼれていく。
「迷惑……かけてたんだね、あたし……」
ポツリと漏らし、それっきりルーンは口をつぐんでしまった。
ふいに訪れる沈黙……しばらく俯いていた後、意を決した様に顔を上げると真っ直ぐに光を見つめ、ルーンは口を開いた。
「せめて……雨が止むまでいてもいい？そしたら、出てくから……」
ルーンの言葉に光は大きく肩をすくめると、これまた大きく溜息を付いた。
「じゃあ、雨が止まない様に、祈らなきゃな……」
自分の耳を通して聞こえた台詞にルーンはきょとんとした顔をする。そんな彼女の頭を少し乱暴に撫でながら、何かを懐かしむ様な表情で光は言った。
「早トチり……か。変なところも、あいつに似てるんだよな……。俺が、いつ迷惑だなんて言ったんだ？まして、出ていってくれなんて……」
「え？」
「誰かと一緒に飯を食う事が、こんなにも楽しいだなんて忘れてた……。自分以外の誰かの温もりが、こんなにも愛おしいだなんて……」
今まで見せた事がない程の優しい笑顔で光はルーンを見つめる……
「ずっとなんて言わないけど、せめて帰る手段が見つかるまで居てくれないか？もう、独りでいるのは嫌なんだ。」
ルーンはふらふらと立ち上がると光の側に、にじり寄った。
「いいの？……あたし、ここに居ていいの？」
怯える様に見上げるルーンを見つめたまま、光は大きく頷いた。その瞬間、ルーンは光の胸に飛込む……
「怖かったの……独りになる事よりも、貴男に嫌われてしまうのが……。だから、そうなるくらいなら出ていこうって思ってたの……。いいのね？あたし、ここに居ていいのね？」
「ああ……」
今度は、はっきりと声を出して光は頷いた。光のシャツを掴むルーンの腕にギュッと力が込められる。その震える小さな体を光はしっかりと抱き締めた。
「光……大好き！」
胸に顔を埋めたまま、ルーンは泣きじゃくる。そのまま彼女が泣き止むまで光は、ずっと頭を撫で続けていた……
それから数ヶ月の間、何事も無く過ぎていった。いろんな失敗をしながらも、ルーンはこの世界に馴染もうと努力していた。トラブルだらけであっても楽しい日々が続いていった。
しかし……光が最初の異変に気付いたのは些細な事だった。ルーンが疲れたと言う言葉を頻繁に使う様になったのだ。次第に顔色の冴えない日が続き、ついには外に出る事すら億劫になっていった。
市販の薬はまるで効く素振りを見せず、日に日に彼女は衰弱していく……それでも光に心配をかけまいと、ルーンは健気に笑顔を絶やさなかった。
「なんか食べるか？」
「ごめんなさい……食欲がないの……」
「そうか…して欲しい事があったら言えよ？」
「うん…ありがと」
そんな会話が毎日の様に繰り返され、ジワジワと光の頭を焦燥感が埋めていく。しかし、解決策など見つかる筈もなく、夜中に呻き声を上げるルーンに、光の眠れない日々は続いた……
「ごめんなさい…光」
数日後、ベッドに横たわったまま、光を見つめてルーンは言った。
「謝るなよ……」
ぎこちなく光は笑う……
（限界だな……）
そんな言葉が頭の中に浮かんだ。ここ数日、光は悩んでいた。ルーンを病院に連れて行くかどうかを……。保険証が無いとか、そういう事では無くて数ヶ月もの間、共に過ごして確信めいたものを光は感じていた。やはりルーンは、この世界の人間ではないのだろうと……。彼女を好奇の目に晒（さら）すのが嫌だったのだが、さすがにのんびりとしている状況では無くなってしまった。
ベッドの脇に座り、小さな白い手を両手でしっかりと握る。そのまま光の意識は２年前へと遡（さかのぼ）って行った。