『M』-12
―孤独な瞳―
ずっと無言だった。
彼は寂しげな、哀しげな目でただ前を見詰めてハンドルを握り続ける。
そんな彼に、私は戸惑う。
やっと疑問が晴れて幕が引いたと思ったら、先程の二人のやりとりだ。
新たな疑問。
だからそれを訊けばいいのだけど、訊きたいのだけれど、口を開こうと思うたびに彼の表情が目に映る。
何も言えない。
私は黙ったままだった。
もともと私なんかが関わることのない世界だ。
このまま帰ろう。
そう心に決めて、駅に着くまでもう気にするのは止めようと考えた時、車がゆっくりと停まった。
まだ駅には着いてない。
何故?と訊こうと隣へと目を向けると、彼は突然車から降りてしまった。
僅かのあと、助手席側のドアが開く。
「え?どこ、ここ?」
「うん?さっきの店だけど」
と彼は自分の後ろに目を遣った。
私も、彼越しに向こうを覗いてみる。
確かにあれは最初訪れた絢爛な店だった。
「その格好じゃ、目立ち過ぎるんじゃないかと思って…。着替えたいでしょ?」
言われて、改めて自分の姿を見て思う。
間違いなく、これだと人の注目は嫌でも受けるな。
そこでふっと、あることを思い出した。
「あ、制服」
リムジンに置き放したままだ。
忘れてきてしまったと後悔した矢先、ポンポンと私の肩を叩いて彼が言った。
「あの後ろにあるバッグがそうじゃないのか?」
指差す先を見ると、確かにあの茶革のバッグが後部座席の上へと置いてあった。
「あはは。陣内に感謝だな」
陣内?…あのリムジンの運転手か。
ここまでくると、その完璧さに非の打ち処がなく逆に怖い。
彼は車からバッグを取り出し、そして私達は揃って店へと向かった。
店の外の看板は『CLOSE』と書かれた物に代わっていて、中は必要最低限の照明だけが点いている。
けれど、両開きの扉は案外簡単に開いた。
きっとまだあの綺麗な店員が居るのだろうとそう思っていたのだが、一向に彼女が現れる様子はなかった。
どうやら彼も不思議に思っているらしい。
間接照明が消えて薄暗い辺りを、キョロキョロと見回していた。
そこへ、ようやく彼女が現れた。
「申し訳ございませんが、本日はもう閉店致しまして…」
と言葉の途中で、彼女はやっと私達が誰であるかに気付いたようだ。
すぐに笑顔を向けた。
「あら、どうしました?」
私と彼の交互を見遣る彼女に、彼が一つ頷いて答えた。
「彼女の服を着替えさせたいんだ。すまないが、また部屋を貸してくれないかな?」
すっと差し出された茶革のバッグを彼女は受け取り、頷いた。
「ええ。かしこまりました。では、どうぞ」
以前と同じように、部屋の奥へと私を招く彼女。
私はペコリとお辞儀をしてその後を追った。
「あ、それと」
と歩みかけた私達の背中へ彼が告げた。
「しばらく一人にしてくれないかな?」
言われて、彼女は彼へと向き直り笑顔を向けた。
「かしこまりました」
「…悪い。ありがとう」
一人、蚊帳の外な私。
何事かと彼の表情を伺おうとしたけれど、それはきびすを返した彼女の言葉に制しされ、断念した。
「一人にさせてあげましょう」
結局、私はまた大いなる疑問を残したまま、奥の部屋へと連れられたのだった。