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『M』
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『M』-11

 青年は車を私達の前にピタリと停めると、車から降りてお辞儀をした。
「ありがとう。陣内。色々と世話になるよ」
いえいえと云った感じで、青年は首を振る。
彼が再びこちらを向いた。
「ほら、乗って」
「でも…」
と一応抵抗はしてみるけど、よくよく考えてみれば、ここが何処だか私は知らなかった。
彼はそれを察知してか、笑顔で乗車を奨めた。
「どうぞお乗りになってください。お嬢様」
「あはは。何それ。…でも、ありがとう」
どうやらワタシは間抜けなピエロらしい。
この舞台に、ワタシはまだ残ることにした。

私は車の助手席に乗り込むため、反対側に周った。
その時、ホテルの中から回転扉へと向かって走る人影が見えた。
「麗奈さん?」
私のその呟きが聞こえたらしく、彼が振り返った。
「待って!優明さん!」
ドアの回転をもどかしそうに抜けた彼女は、ヒールの支えが地面を叩く音を強く鳴らして、彼の目の前へと立った。
「麗奈さん?」
「あの、…あ、あの…」
途切れ途切れの息をなんとか調えて、すっと彼女は頭を下げた。
そしてそのあと出た意外な言葉に、私は驚かざるをえなかった。
「ごめんなさい!優明さん。私の…私のせいであんな…」
ごめんなさい?
私のせい?
文句の一つでも言いに来たのかと思っていた私には、何を言ってるのか全然理解できなかった。
けれども、その言葉に彼は笑顔を見せた。
「違うよ。麗奈さんのためにしたんじゃない。俺が彼女を選んだんだ」
その言葉に顔を上げた彼女の目には、薄らとしたものが輝いていた。
…涙?
ますます訳の解らなくなる私。

「じゃあ、彼女を送らないといけないから。もう行くな」
バタンと車のドアを閉めて、エンジンをかける彼。
「美貴ちゃん。早く乗って」
いつの間にか私の横に立っていた青年が、彼の言葉とともにドアを開けた。
何かしらの説明を求めようと青年の顔を覗いてみたが、頬をピクリとも動かさないその表情からは何も伺い知ることはできなかった。
私は彼の隣に乗り込むと、今度は彼女と彼の表情を交互に伺った。
彼女は申し訳なさそうな表情で涙を流し、彼は下唇を強く噛んでハンドルを握っている。

結局、その顔色からは何も推測できず解らぬまま行ってしまうのかと思った時、運転席のドアウインドがゆっくりと開いた。
「くれぐれも、婚約破棄は俺の一方的な意思だから、それを忘れないように」
忠告をするためにわざわざ開けたのかと私は少し呆れた。
「それと、くれぐれも」
まだあるのかと隣を見ると、彼はこれ以上ないくらいの笑顔を彼女へと向けていた。
「お幸せに、な」
一瞬、辺りを覆っていた喧騒が止まり、窓から涼しげな風が流れ込んだ。
胸が締め付けられるような切なさと、瞼を閉じれば春が見えそうなそんな風に乗って、清らかな優しい声が届いた。
「…ありがとう」
パワーウインドが音とともに閉まり、車は再び包まれた喧騒の中を進み始めた。


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