忘却の日々-2
仕事を変えた。毎日同じような作業を繰り返して、決して忘れることの無いような仕事を探した。日常を固定した。昨日の出来事を、そっくりそのまま再現しながら暮らすようにした。
怖かった。
徐々に記憶できる時間間隔が狭くなっていく。
過去が消えていく。
私はそれまでどのようにして生きてきたのか。
私はこれからどのようにして生きていくのか。
破れたポケットにひたすら大事な日々をしまっていく。
何が怖いのか?
しまっていたものがこぼれていく感覚が怖い、当たり前だ。
けれどそれ以上に、そのポケットが破れている事実を知っていることが怖い。
いつか私は、ポケットにしまうという行為それ自体に意味を見出せなくなってしまうのではないか。
『軽度だろう』と誰かが言った。
そう言った誰かは、苦しそうに微笑んだ。
カレは知っているのだろう。
いっそ全てを忘れてしまったほうが楽になれる。
忘れた事実だけを覚えている。
なんて、残酷。
毎日寝る前に、思う。
今日の私はここで死ぬのだ、と。
新しい私が明日生まれ、そして明日死ぬ。
完全に連続的な生は、一日のみ。あとは断続的な記憶と、限りない喪失感。
1992/10/5
秋の風は心地良い。
病院の帰り道、あまりの陽気の良さに私は公園の大きな木の下に腰を下ろし、暫く人通りを見つめた。努めて何も考えないように。
「こんにちは」
ふわり、と長髪の女性が私の隣に座った。
「こんにちは」
二人は何も言わずに人々を見つめた。無言の間に耐えられず、私は切り出した。
「もしかして、ココ、指定席ですか?」
女性はにっこりと笑って、えぇ、まぁ、と答えた。
二人は何も言わずに人々を見つめた。無言の間に耐えられず、私は切り出した。
「良い天気ですね」
女性はにっこりと笑って、えぇ、そうですね、と答えた。
私はもう話しかけることをやめた。何か上辺だけの会話が行き交うだけのような気がした。
緩やかに風が抜けていく。
私は目を閉じた。
暗闇のなか、ひとり残されて。
私は何も出来ずに、その場所にうずくまっている。
何の意味がある?
ただ、そこに在ることに、一体何の意味が。
耐えられず目を開ける。
「本当に良い天気ですね」
長髪の女性が言った。
その声を聞くだけで、なぜか肩の力が抜けた。
そう、私はまだ一人ではない。
「いつもここに来るのですか?」
「えぇ、この時間帯は毎日」
女性は答えた。
「毎日ですか」
「えぇ、毎日です」
それならば、ここに来れば彼女に会える。一人ではないと確認できる。
「あの」体裁など関係ない。どんな言葉も明日には忘れるだろう。
「友達になってくれませんか?」
緩やかに風が抜けていく。
女性はにっこりと笑って、えぇ、そうですね、と答えた。何か上辺だけの会話が行き交っただけのような気がした。
「あの、本当ですか?」
「冗談だったんですか?」
不思議な人だった。全てを優しく包み込むような人だった。
そして新たな日常が始まる。