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忘却の日々
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忘却の日々-1

毎日、毎日。
同じことを繰り返す。
毎日、まいにち。
朝起きて、ご飯を食べて、病院へ行って、公園で昼食をとって、仕事に行って、まかないの夕食をご馳走になって帰宅して、シャワーを浴びて寝る。
そんな生活を、何日も何年も何十年も。
私はしてきたはずだ。
ある人は言う。『ありきたりな人生なんてまっぴらだ』と。
私もそう思う。
けれど、私にとって平凡な日常こそが命綱なのだ。
それが無ければ自分を見失ってしまう。
昨日をなぞらえて生きる。
これから歩く未来も、これまで歩いてきた過去も、全て同じ。

記憶を失くす、ということ。


2005/10/5
良い陽気だった。公園はカップルや家族連れで賑わっている。私はいつもの場所に座る。目印は大きな木。その根元に腰を下ろしてコンビニで買った弁当を取り出す。唐揚げ弁当だ。昨日は焼きそばだった。一昨日は確かおにぎりだったと思う。そのまえは、と考えたところで思考を停止させた。過去を辿っていけば、憂鬱な気分になるのは目に見えている。
木の枝の隙間から陽光が差し込む、穏やかな正午。
この場所は、多分私にとって特別なはずなんだ。
毎日通っているということは、きっとそうに違いない。
もう私には思い出せないけれど。
確かに疼く、胸の奥。
近くで子供のはしゃぐ声がする。
遠くのほうで主婦たちがお喋りに興じている。
噴水から流れ落ちる水音は、通行人に清涼感を与え続けている。
平和に過ぎる時間のなかで、私はまた寂しさに包まれる。
日々、失い続けているということ。
過去から成り立つ現在ではなく、不意に今が湧き出てくる感覚。
耐えられず時計に視線を落とす。
「もうこんな時間か」
私は腰を上げ、仕事場に向かう。

1990/8/5
うだるような暑さだった。体の不調はそのせいだろうと考えていた。今日は仕事を休み、病院に来ていた。最近思うように仕事がはかどらなくなっていた。物忘れが激しく、つい数日前にした約束をきれいに忘れ去ってしまうようなミスを繰り返し、体調でも悪いのだろうと診察を受けにやってきたのだ。
ところが医者は腕組みをして、診察結果を見ながら考え込んでしまった。
「あの、先生?」
私は不安になって聞いた。
「あぁ、安達さん。あなたねぇ、んん」
ちょっと難しい病気かもしれないよ、と医者は言った。
「病気ですか?私が?」
身体的に悪い場所なんて無かった。頭痛持ちでもないし、腰だって痛くない。
「物忘れが激しいんでしょ?」
それだけが気がかりだった。
「アルツハイマーかもしれない」
あぁ。
私は抑揚の無い声を上げた。前身の力が抜けた。
アルツハイマー?
私が?
「あの、自分の行動を記憶できないっていうあのアルツハイマーですか?」
他にあるはずがない。救いを求めるように。
「見る限りでは軽度だろうが、そうだね」
「軽度、ですか」
「そう、軽度だ。歩き方や話し方を忘れるような状態にはならないだろう。けれど」
私はひとつ、溜息をついて言った。
「数日前に交わした約束を忘れてしまうくらい」
その言葉に、医者は深く頷いた。
「アルツハイマー型認知証。君の場合は、おそらく記憶障害だ」
窓の外ではセミがいつまでも鳴き続けていた。
それは暑い夏 ――― 喪失を始めた、最初の季節だった。


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