【思い出よりも…終編】-5
「どうしたの?こんな時刻に」
私はどう切り出そうかと思案して、返す言葉を失っていた。
「もしもし…?聞いてる」
「ああ……ゴメン、電話をする時間じゃない事は十分承知しているよ。ただ、今日中に君に言いたくて…」
慶子は訝ぶかし気な声をあげる。
「どうしたの?」
「オレと……別れてくれ…」
私は慶子に言った。苦いモノが口に広がる。
慶子は当然の事を私に訊いた。
「訳を……」
私は妻との離婚や、美那の親権争いの事を伝えた。
「美那と、子供と一緒に暮らしたいんだ!」
自分で慶子に伝えながら、“見えすいた嘘だ。慶子にはバレている”と分かっていた。
慶子は静かに答えた。
「分かったわ。別れましょう」
「慶子……すまない」
「楽しかったわ……あなたに会えて…」
「私の方こそ…」
「ねぇ、雅也。最後にお願い。一回だけ、会って……それで、お別れしましょう」
私に異存は無かった。
「分かったよ。今度の金曜日…2人で過ごそう。思う存分に…」
慶子は寂し気に“ありがとう”と言って電話を切った。私も受話器を戻しながら、哀しみと喜びの混じった、複雑な心境だった。
ー金曜日ー
いつものコーヒー・ショップに慶子は待っていた。そして、いつものように私を見つけると、いつもと変わらぬ笑顔で手を大きく振っていた。
彼女の仕草から私は思わず目を逸らした。罪悪感にいたたまれなくなったからだ。
「すまない…いつものように遅れて…」
慶子は、いつもより緊張した面持ちで、
「あの…あのね、今日はあの頃のように過ごしたいのだけれど…」
「あの頃って?」
慶子は、はにかみながら頬を染めて答える。
「…伊吹君と…初めてデートした時のように…」
私は苦笑いを浮かべて、
「あの頃って…憶えてるの?」
「もちろん!2人で見た映画はナウ〇カだったわ。あなたが是非と言ってね…それから…お好み焼きを食べたっけ…それから…私の部屋で…」
私は驚いた。自分自身、彼女との初体験はおぼろげにしか憶えていないのに、その20年以上前の事をこれほどのディテールに至って彼女は憶えているのだ。