【思い出よりも…終編】-4
(……二宮誠一郎。昭和44年…私と同じ歳か…)
「なぜ沢田と?」
免許証を返しながら訊く私の言葉に、沢田は受け取りながら答える。
「職業柄、本名はなるべく明かさないんです。沢田、横田、豊田、吉田…幾つか使い分けます」
そう言ってため息を吐くと、沢田は真剣な眼差しで私を見据えた。
「姉はあなたへの想いで一杯です。私は何度も忠告をしましたが、聞く耳を持たなかった……今の関係は道徳的に言っても許されるモノじゃない。ならば、あなたに引いてもらうしかない…」
沢田はまくし立てるように言った後、寂しげな顔を見せた。
「あんな哀れな姉の姿を肉親としては放ってはおけないんです…」
私は沢田…二宮誠一郎という男を好きになり出していた。
(金に成るとみれば、身内まで売る輩が増えつつある昨今、彼はビジネス抜きで肉親の、姉の事を考えている)
だが、私も簡単に慶子を離したくなかった。
「もし…私が断ったら?」
沢田は少し考えてから、
「あなたは断れませんよ。伊吹さん」
彼はそう答えた。その口元には笑みをたたえながら。
「断れば当然、裁判では不利な立場になるでしょうし、あなたに全幅の信頼を寄せ、寵愛している方を裏切る事になります」
「寵愛?」
沢田は自信あり気に答える。
「秋山…さんでしたっけ?あなたのスキャンダルを知れば、さぞ残念がるでしょうな」
私は喉元にナイフをつきつけられたような気持ちに陥った。仕事に生き甲斐を感じている私にとって、沢田の言葉の意味する事は死刑宣告を聞かされる思いだった。
苦渋の表情を浮かべる私を見て、沢田はうす笑いを浮かべながら、
「チェック・メイト…ですかね」
「少し…考えさせてもらえないか」
「残念ながら、そんな余裕は無いんですよ。3週間後までに別れて下さい。リミットを過ぎれば、今の話を実行しますから」
沢田の事務所を出ると、パラパラと雨が降ってきた。私は傘をさす気力も無く、呆然として自宅へと帰った。
ここ数日眠れない日々が続く。私は帰宅すると、いつの間にか電話を眺めている。今日も缶ビール片手にテレビを見ていたが、時折、携帯に目をやる自分に気づいた。
ズルズルと煮えきらない気持ちとは裏腹に、時間だけは過ぎていく。沢田との約束の期日まで、2週間を切っていた。
私は意を決して受話器を取ると、慶子に連絡をした。数回コールした後、彼女の声が聞こえた。