恋人達の悩み 3 〜後輩〜-14
夕食後、美弥は部屋着を着替えて外に出る準備をしていた。
「あら、どこ行くの?」
美弥母、伊藤彩子はその動きを見逃さない。
「あ、ちょっと……」
美弥は思わず口を濁す。
龍之介以外の男に家まで送られたのが後ろめたくて今から謝りに行こうとしている、とは何となく言いたくない。
「……事情いかんによっては、家から出さないわよ」
「…………ちょっと龍之介のとこに。電話とかメールじゃ、ちゃんと謝れなさそうだから」
美弥は高崎家の玄関まで来ると、ベルを鳴らした。
ピンポーン……
あらかじめメールで行く事は伝えてあったので、すぐに玄関のドアが開く。
「……龍之介?」
ドアを開けた龍之介を見て、美弥は思わず後ずさった。
「何か用?」
つっけんどんに、龍之介は言う。
「ど、どうしたの?」
美弥の問いに、龍之介は唇を歪めた。
初めて自分に向けられる冷たい表情を見て、美弥は困惑する。
「り、龍之介……?」
美弥は手を伸ばし、龍之介に触れようとした。
「触るな」
凍るような拒絶の言葉に、美弥は手を引っ込める。
「美弥……正直、失望した…………帰ってくれ」
美弥の鼻先で、ばたりとドアが閉められた。
「り……龍之介!?龍之介!?」
美弥はドアを叩いたが、向こうにいるはずの龍之介が再び顔を出す事は……なかった。
それから――どこをどう戻ってきたのか、覚えていない。
気が付くと美弥は、自分の部屋に座り込んでいた。
投げ付けられた言葉のナイフが、心をずたずたに引き裂いている。
「な……んで……」
震える唇から言葉が漏れると……美弥の心の中で、何かが途切れた。
「ふ……うぇ……」
ぼたっ
床へ、大粒の水滴が落ちる。
「なんでっ……りゅう、どおしてぇっ!?」
自分には決して向けられる事のなかった、龍之介の冷たい拒絶。
そこには常に向けてくれる柔らかい眼差しも温かな手も、何もなかった。
「うぇ、えっ……!りゅう、なんでええ……!」
泣きじゃくりながら、美弥は問い続ける。
龍之介に。
自分自身に。
「ど……して……りゅう……!!」
翌日。
明らかに睡眠不足という顔付きをした龍之介が、伊藤家のベルを鳴らした。
それが付き合う前からの習慣だからではなく、美弥に言わねばならない事があるからだ。
だが、しかし。
顔を出したのはいつも通りに満面の笑みを浮かべた美弥ではなく、厳しい顔付きをした彩子だった。
「彼氏……上がって」
龍之介が口を開くより早く、彩子は龍之介を促す。
龍之介も、それに逆らわない。
美弥の居場所も聞かず、龍之介は伊藤家に上がり込んだ。
伊藤家の中は彩子以外いなかったのか、しんと静まり返っている。
ダイニングに龍之介を通し、彩子は龍之介の真向かいに座った。
「どういう事なのか、事情を説明して貰おうと思ったんだけど……彼氏、あなたも相当キてるわね」
ため息をつき、彩子は足を組む。
「……あたしは、美弥の母親よ。美弥にはあたしに守られる権利があるし、あたしには美弥を守る義務がある」
「はい」
「だから聞くわ。昨夜、何があったの?」
龍之介もまた、ため息をついた。
「昨日……」
そして、洗いざらいをぶちまける。
昨日後輩と共に目撃した、美弥が髪にキスをされているらしい場面。
夜に何かをしに来た美弥を、冷たく拒絶した事。
そして今朝まで一睡もできず、美弥に伝えに来た事がある事。
「ふう、ん……」
事情を聞き終えると、彩子は鼻を鳴らした。
「拒絶する前に聞けば良かったとは、思います。けど……浮気を肯定されるのが恐くて、できませんでした……自分が傷付く事が恐くて……代わりに美弥を、傷付けた……」
事情を口にした事で改めて、龍之介は自分が美弥に対してどれ程にひどい仕打ちをしたのか、思い知らされる。
「……の?」
そのせいでうなだれていたため、彩子が何を言ったのか最初は分からなかった。
「え?」
「だから……その後輩の女の子よ。その子、美弥以上に信頼できる子なの?」
「それは……」
龍之介は、返答に詰まる。
「あたしはその何とかいう後輩がどんな人格してるのか知らないから、ひどい事も平気で聞けるわ。その子は、美弥以上に信頼できるのね?」
即座に、龍之介は首を横へ振った。
美弥と谷町菜々子を比べるなど……美弥に対して失礼である。
「……あの子ね」
龍之介の顔に生気が戻ってくると、彩子は正直に話した。
「一晩、泣き明かしたわ」
「!」