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『名のない絵描きの物語』
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『名のない絵描きの物語〜黒猫編〜』-4



なんかスッキリしたな。
とりあえず悩んでいた事がウソみたいな清々しさだ。 不思議な気分だ。
猫はもうそっぽ向いて、田中サンは何か考えている様子だ。
麦わら帽子がグラグラ揺れた。
田中サンはゆっくりとこっちを向いて、僕の目を見据える。
『難しい話ですね。 想い人には好きな方がいて、それを相談にのっている…ですか…』
田中サンは悩む。
まるで自分の事の様に。 そんな姿を見せられるとまた泣きそうになる。
『そうですね…田中にはない経験ですのであくまでこれは田中の“考え”なのですが、よろしいでしょうか?』
強い光を持つ切れ長の眼。
猫もドッシリと座りなおしゆっくりとアクビをした。
『田中はこう思います。
貴方が想いを伝えられれば結果を得れます。
それが良い結果であれ、悪い結果であれ。
貴方が行動を起こさなければ安全を得れます。
とりあえずはキズつかず、時間が想いをぬぐいさります。
どちらが良いとはわかりません。
確かにどちらにも後悔の不安は付きまといますし、どちらにも魅力的な力はあります。』
たぶん、当たり前の事。
それが妙に説得力に富んでいる。
『どちらにも同じだけの後悔の影がちらつきます。
片方は結果がわかっているのに想いを告げた後悔。
もう片方はなぜ恋果てても良いから行動しなかったか、という後悔。』
真理。
現実。
当たり前の思想。
それでも僕には選ぶ事は出来ない。
『選ぶのには力が入ります。 ですので田中にはどちらも勧められません。
ですが、一つだけ知っておいて下さい。』
より一層と目が細くなる田中サン。
涙はとめどなく落ちる。

猫はいつしか、いなくなっていた。



言葉がうまくまとまらない。 自分の中でもちゃんとまとまってないのはわかっていた。
それでも“当たり前”に言の葉に乗せたのは、それが“当たり前”ではないから。
いや、これも所詮は机上の空論だろう。 人の意思とは、一人一人違うものだと思うから。




『貴方には、選ぶ権利があります。
たとえそれが哀しい結果をもたらそうとも、選ぶ事ができます。』
田中サンはどこか遠い眼で言った。
なんとなく、心が晴れた。
『田中には名前がございません。 田中と名乗ってはいますが、本当の名前ではございません。
田中は本当の名前を名乗る事が出来ません。 名を選ぶ事は出来ませんが、本当の名前を親に“選んで頂ける”のは幸せな事でございます。 ねぇ、猫サン?』
そう言って先程まで猫がいた所を見る。 が、そこには猫はいない。
田中サンは少し寂しそうな眼をした。
『どこかへ行ってしまわられたみたいですね。
先程の猫サンも名前がないそうです。 母親もなく、人を看取る事もできなかったそうです。』
哀しい眼の訳。
僕なんかより、ずっとずっと重い事実。 しかもそれは必然の出来事。


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