無名の伝記-17
「何も同じ日に出発する事はないだろ?」
アパートの下、荷物を最小限まで減らした二人がそれぞれの出発を控えていた。全ての家具を売り払い、そして手に入れた車でセリカは移動するのだという。
エバンの声を背中に受けて、厳選された荷物を車の中に積んでいた。
「別れは一度に終わらしたいでしょ?いいじゃないの。」
先日の街の住民主催のお別れ会の事を言っているのだろう。盛大に開かれたパーティーは街の通りを祭りの出店通りに変えてしまう程だった。
何か理由を付けて騒ごうという魂胆も見えていたが、それ以上に嬉しくて恥ずかしかったのだろう。
何度も別れの言葉を口にするのも性にあわなかった。
「セリカ。」
「ん?」
エバンの声にセリカは背中で答えるだけだった。近づいてくる別れ、エバンもセリカもそれを目の前にして何をしていいか分からなかった。
何か伝えなくてはいけな、しかしどう言葉にしたらいいか分からなかった。
エバンの目にとまったセリカの荷物の中に口の閉まらないカバンがあった。中にはセリカの愛用のネイルセットが見える。
お互いに今までの思い出が頭の中を駆け巡ってくる。すぐ近くまで迫ってきている別れ、わかっているのに今更何を伝えたらいいか分からない。
今までどんな会話していたのか分からなくなるくらい、二人は緊張していた。
「あんたも忘れ物ないか確認しなさいよ?」
エバンの声にセリカは背中で答えるだけだった。どう顔を合わせていいのだろう。目の前にいるのに、まだ手を伸ばせば届く距離にいるのに。その手さえも動かし方が分からないくらいだ。
二人の間はこんなに近いのに遠く感じる。
やがてエバンの視界に二人の影が入ってきた。
「セリカ。」
「ん?」
「来た。」
エバンの声に一瞬、動きを止めた。別れが近い、セリカはゆっくりと振り返る。エバンの向こうに見えるカインズ夫妻を確認した。
少し離れた所で足を止め、夫妻はお辞儀をしてみせた。ああ、エバンは行ってしまう。セリカは立ち尽くしたまま静かにそれを実感し、ゆっくりと会釈をしてみせた。それは別れの儀式に変わる。
夫妻はゆっくりと近付きもう一度頭を下げた。セリカもそれに習う。