その後の淫魔戦記-7
坂の途中で、直人は眉間に皺を寄せる。
「人が多いな……」
そう呟いて、手を蠢かせた。
未緒が物問いたげに夫を見る。
「花見客が多過ぎる。ちょっと、人に見られたくないんだ」
そんな説明に、未緒は納得した表情を浮かべた。
坂も半ばに差し掛かる頃、ぞろぞろ下りてくる花見客達とすれ違う。
花見客の顔はどれも、こんな場所にはいたくないという嫌悪が溢れていた。
「わ……!」
坂を上り切ってから目の前に広がる光景に息をつく妻を見て、直人は満足を覚える。
その高台は、周囲をあでやかに咲き誇る桜がぐるりと囲っていた。
そして一段高い場所に、一際大きく見事な桜が咲いている。
二人は、その桜の前まで歩を進めた。
立入禁止を警告する黄色と黒色を縒り合わせたロープを張った脇に、立て札が刺してある。
「有月(ありつき)の桜……」
未緒が立て札を声に出して読み上げると、直人は頷いた。
「そう。桜の咲くこの時期、月明かりの下で見るのが一番美しいから有月の名がついたと、地元の人間は教え込まれてるけど……本当はそうじゃない」
直人は、上を向く。
「いつまでそこにいる気だ!?有月!」
悪戯っぽい口調に未緒はつられて上を向き……あっと息を飲んだ。
桜の枝に、女が座っている。
緋袴に純白の袿を三枚程羽織った姿で、沓は履いていない。
「そなたには面白みというものが欠けておるな、当主」
するりと地面に降り立ち、女は言った。
腰まである長い黒髪が、さらりと揺れる。
美しく整ったその顔の中で唇だけが不思議に紅く、額には丸い眉を薄く描いていた。
「これが本当の有月。桜の精……さっき話した先祖がおとなしくさせた奴っていうのが、彼女さ」
彼女……有月は、喉を反らせて笑い声を上げる。
「あの時の説得はまこと、効果のあるものであったぞ。おかげで妾は、今になっても逆らう気さえ起きぬ」
古めかしい言葉使いの有月は、未緒に視線を転じた。
「それにしても当主。そなた、随分と珍かな血筋の女を妻に娶ったものよの」
その言葉に、直人はくすりと笑う。
「僕達本来の血筋からすれば、理にかなった選択だろう?」
「そのようだな」
肩をすくめた有月は、真面目な表情になった。
「このような時にそなたが来たのも、偶然ではなかろう。一つ頼みがあるのだが、聞き入れては貰えぬか?」
直人は躊躇ったが、すぐに頷く。
「僕にできる事なら」
「いとたやすき事よ。そなたの妻と共に、妾を眠らせて欲しいのじゃ」
その答は、直人を動転させた。
「何だって!?」
「そう怒鳴るでない、当主。鼓膜が破れてしまうぞ」
両手で耳を押さえるふりをしながら、有月は言う。
「仕方のない事じゃ。妾の寿命は、もうすぐ費(つい)える」
有月は、視線を遠くへやった。
「ここにも、人の手が入るようになった……そして、妾の力の源たる竜脈の位置がずれたのじゃ。妾はもう、長く生きる事はあるまいて」
悲しげな微笑みが、その唇に浮かぶ。
「だから妾は、そなたに願うのじゃ。契りをもって、もう二度と誰にも邪魔されぬいと深き眠りへ妾を沈ませてくれとな」
「有月……」
複雑な表情を見せる直人に、有月は近付いた。
「ほんにそなたは……開祖に生き写しじゃな。開祖が妾を従わせた時も、そのような顔をしておったぞ」
「開祖は……」
直人は、眉間に皺を寄せる。
「妖しの者を従わせる事を、好んではいなかった。君を屈服させたのだって、人間と利害が衝突したからに過ぎない」
「分かっておる」
有月は、直人に身を預けた。