『名のない絵描きの物語〜列車編〜』-3
不意に田中サンが言った。
『この辺には、良くいらっしゃるのですか?』
チラッと彼の顔を思い出した。 愛しくて、切なくなる最愛の彼の顔を。
そういえば、彼と会う時はいつも私から会いに行ってる気がする。
彼から会いに来てくれた事などない。
疑惑は深まるばかりだ。
『どうかなさいましたか?』
私はひどくボーッとしていた様で、田中サンが心配そうに顔を覗きこんできた。
その顔がすこし、可笑しかった。
「大丈夫です。 そうですねぇ、この列車には月一回ぐらい乗るでしょうか。 行き先に付き合ってる彼がいるんです。」
『ほー、それはそれは。 熱心な彼女サンですね。…どうかなさいましたか?』
「えっ?」
『いや、彼に会いに行くというのに浮かない顔を成されているので。』
「すこし、酔っちゃったみたいですね。」
ドキリとした。
心の中を見透かされ様な気がして、驚いた。
切れ長の眼は私を真っ直ぐ見ている。
心なしか、見られている事が暖かく感じる。
青い鳥が、窓際に止まってきた。
白い雲は、まだまだ寂しく見えた。
彼女はたぶん、辛いのだろう。
なんとなくそんな気がした。
彼女も雲の様に、自分の形を自由に作れればいいのに。 そうすればきっと、彼女の心の涙は止まるだろうから。
僕は窓に止まった青い鳥を描きはじめた。
何故かはわからない。
気が付けば話していた。 きっとあの眼が私を見ていたからだと思う。
私はきっと、羊雲になりたかったのだ。
「彼ね…もしかしたら、浮気をしてるかもしれないんです。 まだ“もしかして”の段階なんですけどね。 けど、最近さっぱり連絡もなくて…今日も実は彼には知らせずに会いに行くんです。
会えるのは楽しみですけど、やっぱり怖くて。」
涙がジワリと染みだしてくる。
悔しい。
なんで、私が泣かなきゃならないの。
『遠距離恋愛ですか。 難しいですね。』
田中サンは優しく言ってくれた。
それがとても、ありがたかった。
知らず知らずの内に、私は愚痴を話し初めていた。
「最初はね、良い感じだったんですよ? 良く電話もしたし、話しもはずんだ。 けど、時がたつにつれ電話の回数も減っていって、最近じゃ連絡しても全然でないし。」
彼女は矢次に言葉を吐き出す。
僕は時折、相づちをうつ。
「それでもたまに会えるとなるとやっぱり嬉しかった。 でも良く考えれば、私ばっかり行ってたんですよね。 彼から来る事はまったくなくて。」
涙を流す。
一粒だったのが、もう一粒、もう一粒と増えていき、彼女は嗚咽を鳴らして泣きはじめた。
「最近は忙しいとか急用ができたとか言って、会ってさえくれなくなって。」
声を上げて泣き始める。
悲痛の声が僕の胸に深く。
「私…私、悔しいです。 彼が浮気をしてるんじゃないかって、心配で心配でしかたないんです。」
心を裸にすると、何故か人は涙を流す。
今回は悲しい涙。
僕はそれを止める為にここにいる。