お蓮昔語り〜其の二『炎』〜-1
「母様〜!・・・あぁ、やっと見つけた」
柔らかな光の差し込む障子が開いて、顔を覗かせたのは娘の琴だった。
うららかな午後のひと時。
開け放たれた部屋の入り口から吹く風が、頬を掠めていく。
「随分前から呼んでいたのに返事がないってことは、また父様との思い出に浸っていたんでしょう?」
よくお分かりだこと。
そうね、呼ばれていたことになんて全く気が付かなかった。
「まったく、いつもそうなんだから。父様も幸せ者よね」
小言なんだか冷やかしなんだかわからない台詞を呟きながら、部屋へと入ってきた琴が私の隣に腰を下ろす。
「・・・今でも、母様を置いていった父様に逢いたい?」
「・・・・・・・・・」
逢いたい。
叶わぬ事と知りながら、幾度、願ったことだろう。
それでも。
あの人がいなくなっても私には・・・琴、あなたがいてくれた。
遠い空から見えていますか?
二度目にあなたと出逢ったあの時は独りぼっちだった私にも、あなたが残してくれた家族がいたから、今こんなに幸せでいられる。
元治元年、七月。
あの、遠い遠い夏の日―――。
背中を伝う汗の感覚が気持ち悪い。
全てを焼き尽くした炎は、それでも未だどこかで燻り続けているのだろう。
焦げた匂いが鼻をつき、漂う煙で喉が痛い。
「もう・・・いいや」
前へと進む気力の失せた足を投げ出して、
私は、道端に座り込み空を眺めた。
美しき京の都は、しかして今は戦の色で縁取られ、遂に禁裏へ発砲という暴挙を起こした長州藩と幕府方の決着は、長州藩邸の火災に端を発した大火となって市中を焼き尽くし終焉をみることとなった。
勝ったのは、どうやら幕軍であるとのこと。
でも。
どうでもいいとさえ思う、そんなこと。
だって、いつもいつも犠牲になるのは、平和に暮らしていたはずの市井の人たち―――私たち。
叔父と叔母が、焼け死んだ。
小さな小間物屋を営んでいた夫婦は、迫る猛火から店を守るかのように二人、折り重なってその生命を終えた。
「逃げなさい、蓮!」
熱さと恐怖で立ち尽くすだけの私に、ありったけの大声で促す叔母の声がまだ、耳に残っている。
「あんただけでも逃げなさい!逃げて、兄さんの分も生きなさい!」
叔母は、もともとは江戸の生まれで父の妹にあたる人だった。
縁あって、大阪で商いをしていた叔父と知り合いこの京で暮らし始め、江戸で父と母が死んだ時にまだ5歳だった私を引き取って、この歳まで育ててくれた優しい人だった。
「でも・・・行くところなんてない」
店の中から動こうとしない叔父と叔母から泣く泣く離れて、迫りくる猛火から逃げ惑って、気がつけば三日が過ぎていた。
両親とは死に別れ、その時に生き別れた血の繋がらない兄の行方は杳として知れず、挙句の果てには叔父も叔母も亡き今、天涯孤独となったこの身でどこへ行けというのだろう。
家財道具も何もかも、全て燃え尽きてしまった。
「もう、動けない」
死にたいわけではない。
ただ、生きる気力が出てこないだけ。
もう一度、立ち上がるだけの力が湧かないだけ。
悔しくて、ただ、悲しくて。
私は、再び空を眺めた。
強い風が、耳元を吹き抜けていく。