『忘れ難き時間と知った歌と 後編』-4
「抜け出せないなんて言わないで… 本当に辛いって、わかるんだから…」
そんな…そんな眼で見ないでくれ。 僕は…本当に…
「僕は…本当に…、本当は…自分を、この世界を抜けたいなんて事…」
気付けば僕は柳サンに全て吐き出していた。 黒い瞳に吸い込まれる様に。
彼はそこまで言って黙ってしまった。 私はやはりあの瞳を変える事はできないのだろうか。 変えたい。 私を救い出した藤原君が苦しんでるんだ。 私が変えたい。
藤原君の事が…好きなんだから…!
「僕は… 産まれた瞬間に親を無くしてね? 僕を産む為に母親が死んで、親父は母を殺したのはお前だって。 それだけ言って後を追うように自殺した。 僕の生後2日目だったらしいよ。本当なら覚えてるはずないんだけど… いつも夢に現れるんだ。 写真でしか知らない親父と母が。 お前が殺したんだって、あなた為に死んだのよって。 気付けば僕は黒い沼に足を入れていた。 物心ついたら世界は無色無音だった。 けど今思えばまだ抜け出せたのかもしれないね。あの頃はまだ…」
衝撃が走る。 頭の先から足の先まで、鈍器で殴られた様な鈍い重い衝撃が。
涙が止まらないのは…しかし聞かなきゃならない。
「しばらくは大丈夫だったよ、それが普通と思ってたから。 でも僕にも友達ができた。 なにもかもが恐ろしく思えた世界が暖かくなる、そんな救いの手ができた。」
私と…同じ。
「…でも裏切った。簡単に、できるだけ丁寧に。 ある時ね? 始めてできた友達がイジメられてたんだ? かばえばかっこよかったんだろうけど、僕は簡単に寝返った。 イジメてる方へと。 当然、その友達は僕を恨んだろうね。 あたりまえだ、親友と思ってた人が仲間じゃなくなったんだから。」
話が暴走を始めてる。 きっと感情の枷が外れてとまらなくなったんだ。 止められるはずもない。始まった懺悔を止める術なんて。
彼は吐きだし続けるだろう。 世界が世界の意味を持つまでずっと。
「僕は…卑怯な人間なんだ。 自分の過去に理由に、傷つきたくないから裏切って、それでも心は助けを叫んでて、救いの手をさしのべられると怖じ気つく。 さらに傷つくんじゃないかって、だからさらに辛いのに闇の世界へひっこむ。 僕は…本当に卑怯な人間なんだ。」
私にはわかる。 彼は楽になりたいんだと。 全て吐いて楽に。 けれどそれは逃げてるだけで彼を変えた訳じゃない。 私はあなたを、藤原君を変えたいの。 けれど言葉は静かに薄れ、あなたの手前で消えてしまう。
「わかってるんだ。 僕が逃げてるだけだって事ぐらい… でも怖い。 またお前なんか必要ないって、言われそうでとても怖い。 それならいっそ踏み込まない方がいい。
…僕は黒の世界の住人でいい。」
決別の時。 彼は私に世界を変えられるのを拒んでる。辛いとわかっていて、なおその世界に居座ろうとする。
私は… 私にできる事は。
「…うん。わかった。もぅ…いいよ。 辛いんだよね?…うん、もぅ…いいから…」
「…ご…めん…。」
「あやまるなんておかしいよ。……でもね?聞いて? 私は…待ってるから… 藤原君と私が、本当に笑って泣ける様な二人になれる時を、とっておきの唄を一瞬に歌える時を。…待ってるから」
今、私にできる事、それは藤原君を待つ事だけ。 彼の中で何かが弾けた時に、それを受け止める為だけでいいから。 私は待つ。
「なんで…なんでそこまで僕を見てくれるの?」
「それは……私は藤原君が…好きだから」
「っ!」
好きだから待つ。 この始めての感情に、私は絶対ウソはつかない。 今まで自分についてきたウソを本当にする為にも。
私はそれだけ言って、その場を去った。 今、私にできる事はそれだけだったから。 …ちがう、本当は逃げ出したんだ。これ以上はもう…
もっと側にいたかったけど、私にはそれはできなかった。
恐怖を叫ぶ猫と闇を見つめる想い。
私の中でなにかが溶けた。
死んだ魚と食べ過ぎた欲望。
醜い泥は水になれたのだろうか。