眠る恋の話 1-2
「問題は、恋人だから隣人になったのか、隣人を恋人にしたのかってとこだ。どっちなの?」
「後者。」
「最悪のパターンだな。にゃんこがそんなに近所づきあいのよろしいタイプだとは知らなかった。」
彼は大げさにため息なんかついている。
事の発端はエプロンだった。この部屋に来る時、私は料理をする。だから気に入った付き合いの長いエプロンを持参していた。それは紺色のシンプルなエプロンで、どこにでもありそうな物なんだけど、ポケットのばしょだとか、丈なんかが妙に自分好みにできていたのだ。さっき、ドーナツを揚げていたら油がはねてとうとう穴があいてしまった。もともと使い込んでいて色々ほつれていたところもあったんだけど、ひどくがっかりした。
同じようなのを買ってあげる。どこで買ったの、と尋ねられて思わずぽろりとこぼしたのがいけなかった。
「もらった物だから知らない。」
これをくれた人との関係をずるずると思い出したのはその直ぐ後だった。彼がそこのところを当然見逃すはずはなく、誰で、どういう関係で、どこで会ったのか、白状させられた。別に勿体つけて黙っていたわけではない。ただ、私にとってはあの一連の事がもう完全に終わったということ自体に未だに傷ついてしまうようなところがあるのだ。それは、その人をまだ好きだ云々という噺ではなく。
「その昔の彼の話してみ。」
彼は私を膝に乗せたまま目をあわせて言った。黙って、嫌だ、と首を振る。その、ひどく年上ぶった態度も癇に障る。実際にひどく年上だけども。彼が私を見上げている。
「あのね、にゃんこはぼくと距離を保とうとする。そういうのを感じるたびに毎度、僕が引っ張りに行ってるのわかってる?そういうのもし僕が見逃したら君、ちゃんと僕のところに帰ってこれないかもしれないよ?」
彼の言っている意味がわかった。彼がいつも私を繋ぎとめておいてくれている。彼が追いかけてくれなければ、私は追って縋れない。
「男と女なんて駄目になるのは簡単なんだよ。」
両脇の私の髪を耳に掛けながらなんだかとても優しい声で言うのだった。彼が昔に駄目にした関係について考えると私の胸の奥だってひどく痛む。
「すごくみじめでみっともない話なの。」
「だったら尚更ききたいね。そんなにゃんこ、僕は知らないから。」
私は友達らしい友達がいない。そもそも、そういう話を他人にできない性分だから友達ができないのかもしれない。何から話していいのかわからないで戸惑っているうちに彼が少しずつ色々と質問して私の絡まった昔話をほぐしていってくれたのだった。
その人とは、部屋が隣である以外の接点は何もなかったのにその関係はごく自然に始まった。引越しの挨拶に行ったら、ここ日当たりが良くていいですよ、とそれこそ日が照ったような笑顔で言ったのだ。その笑顔にわたしはすっかり気を許した。そもそもあの始まりに性的な意味はなかったのかもしれないと思うことがある。男と女の区別なく人見知りの私がすんなりと馴染んだ人がたまたま男であったというような具合だった。
会うと長い立ち話をすることが多くなり、結局どちらかの部屋にいって一緒に食事をすることが増え、いつの間にか買い出し当番なるものが出来、食事当番なるものも出来、知らないうちにそれは習慣になっていた。
「マキ、いくよ。」
何か思い立つと私の名前をよんで一緒に連れて行ってくれた。それは、冬の星座を見にドライブだったり、映画のレイトショーだったり、ダルい夏の昼下がりのカキ氷だったり色々あった。なんにつけ彼は快活に良く動いた。
エプロンはふとした時に彼が何気なく買ってきたものだ。彼の部屋にも同じものがあった。それについてあまり詳しい思い入れがないのは多分それがあまりにも自然すぎたからだと思う。彼にまつわることは全てそうだ。
私にとって誰かと四六時中時間が許す限り一緒にすごすというのは初めてのことだったのにほとんど違和感を感じた覚えがない。初めてしたしたキスやセックスにさえも、恐らく何も不自然なところはなかった。その直後のことは覚えているのにどうしてそうなったのかはあまりよく覚えていない。あまりにも彼の存在が良く馴染んだせいでセックスを覚えてからはことさら、どこまでが自分でどこまでが彼なのかわからないようなところがあった。