「想末、イモウト」-2
「なぁ。」
「はいっ!」
いきなり声を掛けられて、出しかけた手を引っ込める。
怒られるかな…とビクビクしながら振り向くと、翠はこっちに背を向けていた。
「勉強するから…話しかけるなよ。」
ギュッ、と一瞬心臓が締め付けられる。
(ここまでだなんて…)
不覚にも溢れそうになる涙を堪え、
「うん、分かったよ!」
背中に向かって明るく応える。
視界が涙でぼやけて、その姿さえもが歪んでしまう。
「で、ベット使って良いから勝手に寝て。」
きちんとシワ無く伸ばされたシーツが掛ったベットは、殺風景なこの部屋に良く似合うシルバーのパイプで出来ている。
黒と白のストライプのカバーで被われた掛け布団も、綺麗に半分で畳まれて置かれていた。
「あ、ありがと…」
自分の枕が入った赤い水玉模様のカバーでは、明らか浮いてしまうだろう。
「…………。」
返事がなかったので、そろそろとベットの方へと歩みを進める。
下にひかれた絨毯が、フワフワして気持ちが良い。
(ほんとは、ちょっと前から眠いんだよね…)
ベットに腰掛けた時、思わず欠伸が出てしまった。
最近、良く眠れない日々が続いていたから。
それは何故か…。
私の今日の目的は、翠の本音を聞くことだった。
中学に上がる頃から、私にはそっけない態度をし続けてきた翠。
嫌われてしまったのだろうか。あまりにも、私が翠にベッタリだったから、愛想を尽かしてしまったのだろうか。
(また、悪い方に考えちゃった。)
今の考えを消すかのように、頭をプルプルと振る。
それから、翠の枕を少し横にずらし自分の枕を並べる。
ポンポン、と2回枕を叩いてゴロリと横になった。
ヒンヤリとしたシーツの感触が心地好い。暫くすれば、体温で暖まってしまうのだけれど。
(せっかく…来たのに……)
瞼が重い。何度も閉じそうになっては、うっすらと開く。
(だめ…翠が終わるまで寝ちゃだめ…。)
しかし、それを何度か繰り返していくうちに私は眠ってしまった。
翠の本音を聞く前に……。
(寝た…か。)
彼女が眠りについた事を確認し、俺は大きく伸びをする。
そして、椅子ごとベットへと視線を向けた。
こっちを向いて、目をつむっている顔には幼さが残る。
自分ではない誰かを部屋に入れたのは久しぶりだ。
(最近、話すらしていなかったな…。)
安らかな寝息が、規則正しく聞こえる。
柔らかい、甘い音。
「恋…。」
その音は、俺の理性を掻き立てる。
(…妹…か。)
背もたれに寄りかかるとギシッと軋む音がして、寝息を一瞬消す。
立ち上がって、彼女へと近付く。
体にかけたタオルケットが、綺麗なラインを描き出す。華奢な体つきだが、ギスギスした感じは無い。逆に、柔らかそうなくらいだ。
細い肩が、呼吸する度に上下する。
露になった首元が、机の照明を受けて反射した。
「可愛く…なったな…。」
ベットに腰掛けて、髪を撫でる。
久々の感触に、思わず頬が緩んだ。
(小さい頃は…よく撫でてたのにな。)
昔は、周りの目など気にせずに戯れていたというのに。
周りも、幼さ故の兄妹愛だと疑わなかったのに。
時が経つにつれ、恋は…いや、彼女は女になった。柔く、綺麗な髪は気付けば背中の真ん中辺りまで伸びている。
背は、俺と並べば小さいが160はあるだろう。体重は50いくかいかないか位だと体つきから判断する。
二重で形は良いが、黒目がちな為かあどけなさが残る瞳。
特別高くはないが、小さい顔に合う小さな鼻。
よく動く、小さくて真っ赤な口は下唇が少し厚く、上がった口角の側には黶がある。
俺は、ベットを降り床に座る。
彼女の顔を、真っ正面から見つめた。
小さな手に、自分の手を重ね握り締める。
(恋…愛してる…。)
ずっと、妹だなんて目では見ていなかった。
戯れるのは、『好きだから』。『愛しているから』。
他に理由はない。
『れんね、すいのおよめさんになるの!』
無邪気に笑って、叶う筈のない夢を語る幼い彼女が目に浮かんだ。
あの夢が、あの愛が、叶わないことを知っていたなら。