『SWING UP!!』(第1話〜第6話)-135
「う、うん」
ようやく桜子は靴を脱ぐと、中に入った。
「………」
大和が母子家庭だという話は既に聞いている。二人で住む分には少し狭さを感じる空間が桜子を出迎えた。
大和は自分の部屋と直接繋がっている襖を開けて自分の荷物をそこに置くと、所在なげに居間に立ったままの桜子を見て苦笑した。
「楽にしてよ」
緊張感が全身から滲み出ている。
『こ、今度、大和くんの部屋に行ってもいい!?』
と、息せき切って、顔を真っ赤にして聞いてきたときの勢いは陰を潜め、今の桜子はその長身が嘘のように小さくなっていた。
「桜子さん」
そんな彼女の緊張を解くために、大和はその肩に触れた。
刹那、はっと桜子は我に帰り、鼻先まで寄っている大和の横顔を見つめた。
(………)
試合の後だから、お互いに土と汗の匂いがする。だが、そういうものを意に介する様子もなく大和の指が頬を撫で、そのまま彼の顔がさらに近くに寄ってきた。
桜子は目を閉じる。
「ん……」
闇と化した視界の中で、唇の上に暖かいものを感じた瞬間、体の中の強張りが消えたような気がした。
「大和くんて、何でもできるんだね……」
はぁ、とため息をついている桜子の手元では、食器が泡立っている。
「お洗濯も、お料理も……全部、大和くんに助けてもらって……」
本当は、自分がそれをやろうとしていたのだが、まずは洗濯で失敗した。洗剤を入れる量を豪快に誤り、洗い場を泡まみれにしてしまったのだ。幸いにして、泡が溢れた洗濯機はその機能を損じることはなかったが、泡びたしになってしまった周辺の掃除に手間を取ることになった。
次いで、料理である。
桜子は炊飯と肉野菜炒めに挑戦したが、今度は、水の配分と時間設定を苛烈に誤り、炊き上がった米はいかにも芯の残っている“生炊き”状態になっていた。さすがにそのままではとても食べることは出来なかったので、大和がそれを雑炊にし、煮られることで柔らかさを取り戻した米は、残すことなく消化することが出来た。お百姓さんには、怒られないで済むだろう。
結局は、大和に全てを頼りっぱなしになってしまったのである。桜子が失敗をしなかったとするならば、米を研ぐ時に洗剤で洗わなかったことぐらいかもしれない。姉の仕事ぶりを見ているからできるだろうと思っていた炒め物は、油の量が多すぎたのかいかにもギトギトした出来上がりになってしまった。
だが、大和はそれを厭な顔も見せることなく平らげてくれた。
「おいしかったよ」
それが慰めだろうというのは、作った本人だからよくわかる。油のくどさばかりが目立つ肉野菜炒めは、食を進めるどころか減退させること請け合いで、雑炊で流し込むようにして桜子はそれを食した。
「あたし、お姉ちゃんに、ものすごく甘えてたんだなぁ……」
蓬莱家の家事は長く由梨によって維持されてきた。途中で炊事は龍介に移ったが、そんな二人が支える家事に疎漏は全くなく、いつも美味しい料理が目の前に並び、畳まれた洗濯物が用意されてあり、不自由を覚えることもなく桜子は日常生活を送ることができたのだ。小学校の頃は食器を並べたり洗ったり、細かな家事を手伝うこともあったのだが、中学・高校とバレーボールで活躍するようになるとその時間も取れなくなって、いつしか桜子は家事に見向きもしなくなっていた。その積み重ねが、家の仕事に疎くなってしまった自分を作り上げたと言っていいだろう。
一方で、ほとんど母子家庭で生活してきたということもあるからか、大和は洗濯も料理も手際よくこなしているように見えた。生炊きの米を雑炊として復活させる臨機応変さは、慣れたものにしか出来ない芸当でもあろう。
「ほんとに、お邪魔になっちゃった……」
女としては非常に情けなさを感じ、桜子は肩を落とすばかりであった。