『SWING UP!!』(第1話〜第6話)-114
「救急箱って、ありますか?」
「? そこの、棚よ」
品子が指差したロッカーから、よく見る箱を取り出す。二人の怪訝な表情を余所に、大和は手のひらを差し出したまま立っている桜子を椅子に落ち着かせると、まずは消毒液を取り出しガーゼにしみこませて、滲んでいる血を拭い取った。患部を清潔にしておかないと、化膿して腫れてしまう。そうなると、痛みは乗倍になり彼女を苦しめる。
「つ……」
さすがに桜子は顔をゆがめていた。
「なんだ? マメか?」
良くあることだけに、雄太は鷹揚としたものだ。マメを何度も潰し、それを覆うように新しい皮がその上に積み重なってくることで、強靭な手のひらは出来上がる。
ガーゼで当て布をしてから、テーピングを巻いて、処置は終わった。さすがに慣れている手つきであると、雄太も品子も思う。
「血マメが塞がるまでは、バットは持たないほうがいいね」
普通に皮がむける程度なら、テーピングを巻くなどして対処すれば事足りるが、桜子の場合は出血してしまうほどに深く皮膚を痛めている。新しい皮膚でその傷口が埋まるまでは、バットを持たせないほうがいいと大和は判断した。
「で、でも、素振り……」
せっかくいい感じのスイングを掴みかけている。数日バットが振れないとなると、その感覚が体から逃げてしまうのではないかと桜子は不安になった。
「長めのタオルを代りにすればいいよ」
「タ、タオルで?」
大和も昔、素振りのしすぎで何度も血マメを破ったことがある。固いバットを握られない時は、タオルをそれの代わりにして、腰の回転を確かめていたものだ。
「膝のタメ方と腰の回転を意識しながらタオルを振れば、それでも効果はあるから」
「う、うん……わかった。ありがとう」
手際よく手厚く手当てをされ、桜子の心に暖かいものが満ちた。小さい頃、転んですりむいた膝を龍介に手当てされることはあったが、ひょっとしたらそれ以来になるかもしれない。
(男の子に、優しくしてもらったのは……)
なにせ女子高に通っていた桜子だ。思春期の中で、同年代の男子と会話を交わすことなどほとんどなかった。
「なんともあちいな、この部屋は」
そんな二人のやり取りを見ていた雄太が、おどけている。初めてそこで大和は我に帰り、桜子の柔らかな両手の平を直に触っていたことを意識し始めた。
「そろそろ、鍵、締めるからな」
監督意外に部室の鍵を持っているのは、雄太と品子と岡崎だ。桜子と大和が帰宅しなければ、この部屋の鍵を閉められない。
先に桜子に着替えてもらい、その後で大和が身支度を整え部屋を出てきた。それを確認してから雄太は鍵を閉める。
「二人が来てくれて、本当に助かるよ」
振り向きざま、雄太は不意にそんなことを言った。
「正直な話、入れ替え戦で負けてから、ちょっと活動が萎え気味だったんだ」
二人の引退者を出したことが、それを如実に示している。あの敗戦のショックは、やはり大きいものだったのだろう。
「ありがとうな、桜子、草薙」
その沈滞した空気の中に、新しい風を運んでくれた二人は、雄太にとっては本当にありがたい存在であった。しかも、草薙大和の実力は、嚢中に飛び込んできた無双の宝玉のようなものである。これほどの逸材が、どうして無名にも等しいこの大学にやってきたのか…雄太には色々と怪訝に思うこともあるが、それは問わないことにした。
「新しい監督も、なんかすげえ人みたいだしな」
にへら、と頬が緩む雄太。
「むぅ〜……」
品子は彼がなにを想像しているか容易にわかったので、その足を踏みつけていた。
「い、痛えって、品子」
「浮気者! もう、知らない!」
つい、と横を向くと雄太を置いて家路につく品子。去り際に、桜子と大和に一声かけると、更に彼女は歩みを速めて雄太を置き去りにかかっている。