『STRIKE!!』(全9話)-217
第9話「決 戦!!」(後編)
10月だというのに、陽射しはまだ暑い。
高く青い空に、秋の最中を思わせながら、それでも上着を脱がないと汗さえ浮かぶ、そんな日でもあった。
「壬生さん」
「ん? ……おう、智子ちゃん!」
思いがけない場所で、思いがけない人物にあったものだ、と藤堂智子は思う。なにしろここは、市営球場に最も近い場所にあるタクシー乗り場なのだから。
「久しぶりだなあ。どうだい、筆のほうは?」
「今はちょっと理由があって、筆は止めているんです」
「へえ? ……スランプかい?」
幾分、表情に陰を指しながら壬生が言うが、それに智子は笑みを浮かべて首を振る。そして、理由を口にする代わりに、右手で自分のお腹を触って見せた。
「!?」
「そういうことです」
目を丸くしている壬生に、智子は彼女らしい理知的な笑みを返す。それでも、以前に比べて柔和な雰囲気を帯びているのは、彼女に宿っているものが生み出す暖かなオーラであろうか。
(あの若造の、子か……)
壬生は、要領が悪いながらも、真剣に懸命に智子のために資料を探し廻る編集者のことを思い浮かべた。その彼と、智子が深い仲にあることは、既に知っていることである。
「式はまだだろ? 俺も呼んでもらえるんかな?」
「当然です。壬生さんは、私の恩人ですから」
「へへ、そう言われると悪い気はしねえなあ」
強面の顔が、恵比寿になった。
「壬生さんは、お仕事ですか?」
「おう。まあ、早朝リトルの試合を見てきたついでにな」
話が区切りを迎えたところで、智子は話題を変える。この場所に彼がいると言うことになれば、どうしてもその職業に関する話になるのは仕方がないだろう。
なぜなら彼――壬生篤(みぶあつし)は、千葉ロッツマリンブルーズのスカウト編成部にその身を置く人間だからだ。つまりは、プロのスカウトマンなのである。
瀬戸内カブスに入団したものの、選手としては遂に芽が出ることのなかった彼はしかし、裏方に廻って以降は華々しい活躍をしてきた。
弱小を極め、かつては球界のお荷物とまでいわれたカブスだったが、彼がスカウトとして次々と無名でありながら優良な素質を持った選手を入団させ、ついには6年間のうち日本一を3度成し遂げるまでの戦力を作り上げた。壬生なくして、その黄金時代はないといっても過言ではない。逆にいえば、彼が抜けてからのカブスは、選手層が一気に薄くなり苦戦を強いられている。
その後も、東都スカイハイズ(現・札幌フラッパーズ)、太洋フィッシャーズ(現・京浜レインボーズ)、神戸オリンポスと球団を渡り歩き、数々の実績を挙げてきた。少なくとも、彼がスカウトとして所属した球団は、必ず1度はリーグ優勝を果たしているから、その手腕は瞠目に値するだろう。
「メジャーに人材が流れてるからってよ、まだまだ日本の野球は終わっちゃいねえよ。ガキどもの中にも、すげえヤツはたくさんいるぜ」
「目にとまる子がいたんですか?」
「おう。城北リトルに、ライトを守ってるちびっこいのがいたんだが、そいつがまたすんげえ肩をしてんだよ。そんでよ、可愛い顔してんのに負けん気も強くてな。間に合いそうもないバックホームも、平気でやりやがるんだ。野手よりも投手向きだな。それも、大投手の素質を持ってる。名前は……クサナギ、とか言ったか」
「ふふ」
嬉々として、その子供について話す壬生。既に六十を越える老躯ではあるが、まだまだその心に宿る野球熱はおさまっていないらしい。
「元気ですね」
「筋金入りの、野球バカだからな俺は」
無造作に切りそろえただけの髪を撫でながら、壬生は智子に笑って見せた。まだまだ色も艶も量も失っていないその髪のおかげで、少なくとも、十は若く見えた。
そのまま二人は連れ立って市営球場の受付に廻る。そこで、ほとんどタダに等しい入場券を手に入れると、一塁側の内野席に向かって歩き出した。
「――――――」
屋根のない空間に出ると、一斉に陽射しが降り注いでくる。
一瞬、眩さに視界を奪われた智子が、ふたたびそれを取り戻したとき、
「整列!!」
審判の高らかな声が、球場に響き渡っていた。