『STRIKE!!』(全9話)-176
どっく、どっく、どっく…
京子は、わけもなく高揚してくる自分の鼓動を抑え切れない。
(な、なによこれ……)
指が震えていた。賭け野球のときに、ギリギリの勝負というものはずっと経験してきたというのに、なぜか緊張が止まらない。
(ど、どうしたっての、あたい……)
腕に力が入らない。ボールを握ろうとしても、硬球の縫い目を模した軟球のそれに指が乗った気がしないのだ。
(やばい……やばいよ……)
膝まで震えてきた。紅白戦の最初のうちも、かすかな緊張というものはあったが、これほどではない。自分の意外な弱さと脆さに、京子は動揺した。
「醍醐京子」
泣き出してしまいそうなほどに心細くなったときだ。ぼす、と頭に何かが乗ったのは。
「あ……」
それは、管弦楽のファーストミットだった。いつのまにか、彼だけがマウンドに戻ってきていたらしい。
「管弦楽…」
その姿を確認した瞬間に心細さは消え、代りに、京子の胸にいいようのない暖かさが宿った。
「言い忘れていたことがあった」
「な、なによ」
それでも強がった口調をやめないのは、弱い自分を管弦楽に見せたくないからである。
「この試合は、君のものになった。……僕は、醍醐京子という新しい仲間のために、全身全霊を尽くして守ることを野球の神に誓う!」
びし、とそのファーストミットで自らの胸を叩く。
「ごふっ……」
自分でやっておきながら打ち所が悪かったらしく、彼はむせた。
「ぷっ」
その滑稽さを、なぜか京子は嬉しく思う。以前までなら、暑苦しいとさえ感じた彼の野暮ったさが、今はとても心強い。
「タイムは終わってるんだよぅ」
塁審がそんな管弦楽に、遅延行為の注意を施した。管弦楽は相変わらず尊大だが、その言葉に従うように守備位置に戻っていく。
「管弦楽」
もう一度だけ京子はその背中に声をかけ、彼の注意を自分のところに引き寄せた。
「ありがとうね」
「あ、ああ……」
後の述懐で管弦楽は、その時の透き通るような笑顔に、人生の中で初めて“ときめき”なるものを覚えたということを言っている。
享和大学との試合は、中盤に追い上げを喰ったものの、最終的には8−3と快勝した。
6回の裏に一打同点の場面でリリーフした京子は、まずは重い直球で内野ゴロ併殺打を奪い、その後の打者を追い込んでからのフォークボールで三振に仕留め、簡単に危機を乗り切った。
序盤に4点を取りながら、それ以降は何となく打線のつながりを欠いていた櫻陽大の攻撃陣だったが、まずは管弦楽が爆発した。二死無走者の状況で打席に入った彼は、その打席で場外まで白球を飛ばす本塁打を放ったのである。
その管弦楽を中心に、櫻陽大の各打者はシャープな打撃とつながりを取り戻し、またたくまに享和大を引き離した。その後、管弦楽はダメ押しとなる本塁打をまたも場外に放ち、本数においてトップを走る、城二大の柴崎エレナに1本差に迫った。
試合の趨勢をこれで決した櫻陽大だが、それに驕ることなく京子は力投を続けた。リリーフに登ってからひとりの走者も許さず、最後までテンポとリズムを崩すことなく投げきったのである。
最後の打者をピッチャーゴロに打ち取り、ファーストの管弦楽に送球して試合が終わった瞬間、京子は今まで感じたことのない高鳴りに胸が沸いた。
好リリーフを讃えてくれる野手陣とベンチ。そして、応援席の先輩たち。
京子は、賭け野球では絶対にありえない満足感と昂揚感に、不意に湧き出した涙を抑え切れなかった。