『STRIKE!!』(全9話)-130
「…………」
なにを言われたか、わからなかった。いや、言葉は確かに聞こえていた。はっきりと、耳の中で、そのフレーズはリフレインしているのだから。
「渚のこと、好きだよ」
もう一度、そよ風が耳に。それは、優しく、甘く……暖かい。
「さ、悟…?」
「大好きだよ」
「あ……」
そのまま、微笑が近づいてきた。そして今度は、唇に小さな風。
キス…。思う間もなく、風はすぐに通り抜けた。
「さ、とる………?」
眼を見開いて、風を起こした張本人を見つめる。唇から舞い込んだそよ風は、いまだに渚の中で、溢れる感情の嵐を巻き起こしていた。
「聞いていいかい」
「え」
嵐はやまない。唇に触れた暖かさが胸の熱さに変化して、その嵐をまるで台風のようにますます成長させている。
しかし、彼女の聴覚はやけに澄んでいた。それこそ、道行く人の足音が聞こえるほど。バス待ちの客たちの会話が、別々にちゃんと入ってくるほど…。
「渚の気持ち。聞いてもいいかい?」
肝心の悟の言葉もまた、彼女のフィルターにしっかりとひっかかった。その意味をろ過し、透き通った想いが、荒れ狂っていた渚の感情に雨となってふりそそぐ。優しく、暖かく…甘い雨を。
激しい嵐が去った後…雨が降ったその後には、爽快な青空が広がるものだ。
「悟……オレ……」
その答えは、透き通る青空を思わせる、満ち足りた渚の微笑みにはっきりと映っていた。
『遊びに行こう!』
悟に腕を引っ張られ、渚は戸惑いながら、彼に引かれるまま街を歩いた。戸惑いは、いつしか笑顔に変わり、気がつけば渚の方から悟の腕を引っ張っていることもあった。
さすがにユニフォーム姿では目立ってしまうので、着替えたほうがいいだろう。しかし、球場までユニフォーム姿でくるのが通例だった二人には、そんな着替えなどなかった。
『渚、服を買うよ』
そのまま、大衆向けの衣類店に入る。ふたりとも土にまみれていたので、まばらにいた客たちは驚きと奇異の眼差しをむけてきたが、そんなことは気にしない。
近くの店員を呼び、悟は渚のコーディネイトをお願いした。どんな姿をしていても、客は客。20代後半らしい落ち着いた感のある女性は、喜んで応対してくれた。
渋る渚を説得し、更衣室の中へ押し込む。しばらくしてから、カーテンをそっと開け、顔だけ出した渚がやはりいろいろと口にして、真っ赤になって抗うが、それは悟の耳に届くはずもない。
仕方なく……という具合に開かれたボックスの中には、見違えるほどにオシャレになった渚がいた。
活発で健康的な彼女の雰囲気に合わせ、スカイブルーのシャツに、ベージュのショートスカート。薄茶色のベストで、色の落ち着きと服飾を加えている。
ファッションのことは、はっきり言ってよくわからない悟だ。しかし、渚にスカート、というのがなによりも気に入った。
『じゃ、これ。このままで、いいですから』
『へっ!?』
『それでは、値札をお切りしますので……』
あっけらかんと悟が言い、渚が声を無くし、それを尻目に店員がハサミで丁寧に値札を切り取っていた。彼はもう、見繕っておいた自分の服を身にしており、そのぶんの値札も預けているはず。
『あ、おい……金……』
しかし、何の問題もないように、渚に一声かけて店員とともにレジに向かう悟。残された彼女は、ただ呆然と、事の成り行きに身を任せるしかできなかった。
衣服店で転身を遂げた二人は、店の袋にユニフォームを入れて駅のコインロッカーに預けると、身軽になった体で街をめぐった。