■LOVE PHANTOM■十章■-5
「何だ?」
かすれた声を出しながら、叶はそれに触れた。
暖かく、やわらかい。
「まさか」
ハっとした時、叶の全身に鳥肌が立った。今の角度からでは、それが何なのか分からない、叶は、何とか重しを自分の体からおろし、隣へ転がした。
那覇はただそれを眺めたまま動かない。
「そんな・・・そんな」
それが自分の瞳に映り、重しの正体を知った時、叶は、内蔵までも、瞬時に凍りついてゆくのを感じた。手が震え、横になっているにもかかわらず強いめまいを感じる。
「靜里・・・何で」
触れていた手を、彼女からそっと離し、呟く。
「血が、血がついているじゃないか」
叶は、震えている手のひらを、今度は、そっと靜里の頬へおいた。真っ白な顔にも、ぼろぼろになった洋服にも、そして長く乱れた髪の毛にも、いたるところに血がついている。 靜里を包む粉雪も、彼女に近い方から真紅に染まってゆくのが見てとれた。叶は、ゆっくりと上体を上げ、言った。
「靜里?なぁ、靜里?」
肩を揺さぶりながら、何度も名前を呼んでみたが返事はなく、叶は静かに口を噤み、ただ、動かなくなった靜里を見下ろした。
「死んだのか?お前」
冷めた吐息のような声を出し、叶はうなだれた。真っ白な顔を、何度も、何度も、触れ、少し離して、彼女を見つめると、また触れた。まだ暖かい。しかし、呼吸はなく、鼓動も聞こえない。
うっすらと開いている口元は、何かを言いそうで、叶は目を閉じた。
「靜里」
噛み締める唇からは、真っ赤な涙がつうっと流れ出し、ポタリと落ちた。
「気がつかなかったんだ。彼女が、妻が後ろから走りこんで来るなんて・・・俺は知らなかったんだ」
「那覇?」
那覇の呟くような声に、叶は目を開け、彼へ視線を向けた。絶望の色が、全身から滲み出ているのが分かる。
那覇は血まみれになった自分の腕を、もう片方の腕で包み、何とか震えを押さえている。自分の愛する者を、自らの手で殺してしまったのだから、ショックは叶以上かもしれない。 「俺が殺したんだ」
うなるような声で那覇は言った。
「・・・・」
「長年捜し求めていたものを、俺の手でバラバラに壊してしまった」
その死んでいる様な瞳からは、わずかな闘争心も見られず、叶はただそれを見つめた。
「もう、俺は用無しか」
ぽつりと呟くと、那覇は立ち上がり、痛めた足を引きずりながら叶の前に立った。
「何のつもりだ」
叶が言う。
「妻はもういない。俺はもう生きている意味がなくなった」
肩を落とし、那覇が言った。
那覇の意外な言動に、叶は呆然と彼を見上げる。
「俺は彼女を救えない。だが、お前ならやれる。愛する者を救え」
そう言うと那覇は、言葉を無くしている叶へ手を差し伸べた。
「何の事だ?何を言っているんだ?」
叶は那覇の手を借りず、一人で立ち上がり言った。傷はだいぶ癒え、ほんの少しの痛みしか感じない。
「どういう意味だ那覇」
那覇を睨みつけ、叶が言う。しかし那覇は、その眼光に恐れることなく、鼻で軽く笑うと、叶へ向かって拳を振り上げ、
「俺を殺したら、教えてやるよ!」
と言う言葉と同時に、叶の顔面めがけて、力いっぱい振り下ろした。