■ＬＯＶＥ ＰＨＡＮＴＯＭ■十章■-6
「くっ！」
那覇の突然の襲撃に叶は、避けることが出来ず、その場から、身を捩り、右拳を強く握ると、それを力の限り前へ突き出した。再び、二人の間には不快な衝撃音が走り、そばにいた鳥達は騒ぎ、いっせいに飛び立っていく。
わずかな沈黙の後、崩れ落ちたのは那覇の方だった。ゆっくりと、前へ倒れ込み、叶へ覆いかぶさる。それと同時に、那覇の腹からは、ボタボタと大量の血が流れだし足元を染めた。 叶の一撃は那覇の腹部を襲い、大きな穴を空けていた。叶は倒れ込む那覇を残った片腕で抱き、もう片方の腕を、彼の傷口から抜いて、呟くようにして言った。
「わざと・・か？」
那覇の拳は叶の頬をかすり、だらりとたれた。なので傷は頬の切り傷だけで他には何もない。 那覇は叶の肩へ顎を乗せ、荒く呼吸をしながら言った。
「言ったろう・・俺は用済みだ。いや、初めからそうだったのだろうな。前世の想いなど、必要なかったんだ。彼女には、靜里には、叶、お前が必要だったんだ」
叶の耳元で、那覇が笑った。
「そして、これがさっきの答えだ」
「なんだと」
叶が眉をひそめ、横目で那覇を見る。
「このまま放っておけば、俺は確実に死ぬだろう。それがどういう事か分かるか叶」
那覇が低い声で言い、叶の肩がぴくっとはねた。
「まさかお前は、そういえば足の傷も治っていない」
「ああ、俺が転生して唯一持っていなかったのは、超人的な回復能力だった。不死身の体ではなかったんだ」
その言葉を最後に、那覇は喋るの止め、静けさの中、体中の骨が抜け落ちたように、ぐにゃりと膝を曲げ、その場へ崩れ落ちた。
「那覇」
叶が呼ぶ。
しかし返事は無く、那覇の、悲しげな瞳だけが叶へ向いている。見えているのかも分からないその瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ち、頬を濡らした。その瞳から叶は、那覇が何を望んでいるのかを自然に理解し、しゃがみこみ、そっと那覇の胸へ触れた。
「分かったよ」
叶は目を細め、ぐっと手のひらへ意識を集中させた。
すると、見る見るうちに那覇の体は凍りつき、そう思ったかと思うと、次の瞬間には粉々に砕けて、氷の砂に姿を変えてしまった。
那覇の砂は、風に吹かれ、宙を舞い、数瞬で完全にそこから姿を消した。それを確かめた後。叶はゆっくりと立ち上がり、空を見上げ、静かに目を閉じた。那覇は風になり、愛する恋人は遺体となって眠っている。 そしてこれから自分は・・・叶は目を開け、考えた時、何故か、自然と口元に笑みが浮かび、
「考える必要は無いな。俺の取るべき行動はただ一つだ」
眠っている靜里を見つめながら、一人呟いた。
あれだけ強く吹いていた風は止み、辺りはシンと静まり変えていた。海原の様に広がっている灰色の空に、太陽の姿はなく、数羽の鳥達が飛んでいる。
傷ついた体を両足で支え、引きずりながらも、叶は靜里へ近づき、彼女を見つめた。
その顔は、いつの間にか赤みを無くし、完全な死顔になってしまっていた。横っ腹には叶をかばってできた傷が、痛々しく残っている。叶はきつく目を閉じ、言った。
「何故、俺をかばった？痛かっただろう？」
叶は、ゆっくりと、瞼を開ける。
「俺はお前を守れなかったんだな」
叶は眠っている様な、安らかな靜里の顔を、見つめ、しゃがみこむ。
間近に、見れば見るほど、その顔は綺麗だった。
「愛している。一人の人間として、隹梛 叶として、北村 靜里を誰よりも愛している。他の誰でもなく、俺自身の気持ちだ」
叶は囁くようにして言うと、そっと、手のひらを靜里の頬へあて、 「だから俺は、お前に全てをあげようと思う。お前が、再び幸せを取り戻せるように」
静かに彼女の冷たく、こわばった唇へと口づけをした。
「・・・・・」
無言のまま、叶は再び立ち上がる。何かを決心し、覚悟したのがその表情から伺える。
「那覇は、俺にしか、お前を助けることは出来ないと言っていた。その時は、話をよく飲み込めなかったが、今なら分かる」
と、叶は言い、自分の右手を、靜里の真上へ出した。そして、左手で手刀を作り構える。 「お前は生き返るんだ靜里。俺の生き血によって」
その言葉と同時に、叶は左の手刀を右手首へ強く、押し付けると勢いよく外へ引いた。激痛が叶の中を走り、一瞬、悲痛の呻きが漏れた。傷口からは、まるで、壊れた蛇口のように、真紅の血が流れ出していく。風が少しそよぐ度に、それは右へ左へと揺れ、靜里を染めていった。