『欠片(かけら)……』-17
室内に漂うほんのりと香ばしい香りが鼻孔をくすぐって、あたしは気がついた。そして目を開いたあたしの視界に映るのは見覚えの無い天井。身体に感じる布団の感触に自分がベッドに横たわっていることはすぐにわかった。
“ギシッ”とすぐ側で椅子の背もたれが軋む音がして首を横に向けると、そこには椅子に座ったまま軽く伸びをしている亘の姿が視界に映る。
「ここ……どこ?」
どうしていつもそんな反応をするのかわからないけれど、あたしが声を掛けると彼は椅子からずり落ちるぐらいに慌ててこっちを見た。
「あ、気がつきました?ここは俺の部屋です」
どうやらあのまま気絶したあたしは亘の部屋に運ばれたらしい。ベッドから身体を起こすとあたしは淵に腰掛けた。
「あはっ、亘にお持ち帰りされちゃったってワケね……」
「人聞きの悪い言い方しないで下さいよ。でも無事でよかった。もしも……」
「待って!一応、お礼は言うつもりだけど助けてくれって頼んだ覚えは無いわよ?」
あたしって嫌な女だ。感謝の言葉すら素直に言えないなんて。亘は予備の椅子をあたしの側に移動すると、その上にコーヒーカップを置いた。
「わかってますよ。あなたを助けたのもここまで運んだのも、全部俺が勝手にしたコトですから。コーヒー、冷めないうちにどうぞ」
「それより、もっと飲みたいわ……」
「ムチャですよ、もう止めた方がいい」
「止めるなら帰るわ。あたしは飲みたいの」
「澪さん……」
本当は嬉しい癖に素直になれない。そんな自分が疎ましくって仕方ない。そうよ、こんなあたしなんかボロボロになってしまえばいいんだ。
なにもかもが煩わしい。嫉妬する心も未練がましい自分も、そのすべてが……
亘はキッチンへ姿を消すと抱えられるだけの缶ビールを持って戻りテーブルに並べる。
「わかりました、澪さんがそうしたいなら……」
「亘……」
「好きなだけ飲んでいいです。俺もとことん付き合いますから」
「あなたも物好きよね。あたしなんかのどこがいいのよ?」
悪態をつくあたしの言葉を軽く受け流して亘は静かに笑う。そんな仕草がなぜかカンに障った。
「でも、この借りは返さなくちゃね。何をすればいいの?」
「そんなのいらないですよ」
「ダメよ!それじゃあたしの気が済まないわ!」
そうよ!男に借りを作ったままなんて我慢出来ない……
「どうしてそんなにムキになるんです?そんなのどうでもいいじゃないですか」
「そうやって貸しを作ってあたしよりも優位に立ちたいのね?卑怯よあなたは!」
どうしてだろう、感情が抑えられない。彼が言葉を返す度に自分がますます意固持になってしまってどうしても素直になれない。そんなあたしの態度に溜息をついて立ち上がると亘はあたしの隣に座った。
「人を助けて卑怯者って言われたのは初めてですよ。それなら……」
そう言って突然あたしを押し倒して組み伏せると亘は強引に唇を重ねてくる。だけどあたしの髪を撫でる手や、そっと差し入れて絡ませてくる舌使いはなぜか優しかった。
そして少しだけ顔を離し、間近であたしを見つめながら亘は言う。