■LOVE PHANTOM■五章■-2
「叶はどうしてここにいたの?」
顔を上げて靜里が言った。
「たまたまここを通ったとき、お前の悲鳴が聞こえたんだよ。」
靜里を抱く、叶の腕にいっそう力が入る。
「叶・・・?」
「何だ。」
「今日はごめんね。指輪、受け取れなくて・・・でも、別に嫌いだから受け取らなかった訳じゃないのよ。」
「分かってるよ。」
優しい顔で叶が言った。
しかし、その顔色はすぐに険しい表情へと変わった。さっきまで、うずくまるようにして伸びていた、小柄なほうの男が起き上がってきたのだ。口元からの流血は、まだ止まってはいないらしく、顎をつたい、芝生の上を真紅に染めている。息も、荒い。叶を睨む眼光は、それ以上に危険な輝きを見せている。
叶はため息交じりに言った。
「よせ、お前の負けだ。」
それを聞いた男は、真っ赤な歯を、きつく食いしばり、ジーンズの後ろにそっと手をまわした。
叶と靜里は男への視線をはずすことはなく、彼をじっと睨みつけている。
男は傷の痛みと、怒りを堪えるために歯を食いしばり、叶と靜里の二人は男の、これから仕掛けてくるべく攻撃をかわすために、その口を噤む。
叶の方を見ながら、男はにんまりと、いやらしく笑みを浮かべた。そしてさっきまで後ろに回していた手を、ゆっくりと正面にもってくる。
月光が、彼の手を照らし出した。男は、自分の手に持たれている獲物に、そっと目を落とすと、再びその口元には笑みがこぼれた。
刃渡り、およそ13、4センチほどの短刀である。刃毀れのしていない、刃物の銀の輝きを、その目に映し、時折、波に揺られる小船の様に、短刀をゆらりゆらりと動かした。そのたびに、刃に反射する月光が彼の顔を照らし、彼を映す。彼は自分の短刀の美しさに見惚れている様子でうっとりしながらも、再び視線だけを二人に見せた。
靜里はそっと叶の袖に触れた。それを見た叶は、震えている彼女の手の上に、そっと自分の手を合わせる。
「大丈夫だ。お前はどんな事があっても、守り抜く。」
叶は笑った。
「危険なまねだけはしないで。相手は刃物をもっているのよ。」
靜里は、今にも泣き出しそうな顔で叶に言う。
「お願い。」
袖をつかむ靜里の手の力が、いっそう強まる。叶はそれを、そっと離すと一歩前へ出た。 彼女のそばにいては巻き込む恐れがある、と判断したためである。
「殺してやるぞ・・・・。ぶっ殺してやる!」
狂ったように、男は、怒鳴りちらした。息を切らし、手が震え、叶を睨んでいる眼光に、より強い憎しみの炎が沸いてくる。
男の殺意は、叶にもぴりぴりと伝わっていた。
「来いよ。俺を殺すんだろ?」
叶はいたずらに笑みを浮かべる。
「行くぞぉ。」
先に仕掛けて来たのは、やはり男のほうだった。歯を食いしばりながら、上体をできるだけ低くし、叶めがけて、一直線に突っ込んで行く。後ろからは、跳ね上がった泥と、ちぎられた芝生の、草がついてくる。
「なるほど、体を低くすることによって、俺の攻撃を防ごうとするか。考えたな。」
突進してくる男の姿は、まさしく闘牛そのものである、しかも狂った闘牛、手に握られた短刀は角に仮定していい。
「いやぁぁぁ。」
靜里は、きつく目を閉じ、両手でしっかりと自分の耳を覆った。
「血まみれになれぇ!」
男の射程距離内に、叶が入った。
ここぞとばかりに、叶の顎めがけて、刃を突き上げる。叶は、かるく、上体をねじり、それを避ける。すると男は、歩幅を大きく取り、ぐるりと、その身を回転させ、振り向きざま、短刀を持たないほうの拳を力いっぱい握り、叶の顔面めがけて振った。叶は、一歩下がり、それを避ける。男は一歩進み、今度は、短刀を、振り下ろす、が、空を切った。叶は足さばきが上手く、次々と、繰り出される攻撃を避けてゆく。
男の息がより激しく弾む。それに対して叶には、何の変化も見られない。