「ごみすて」-1
目覚まし代わりの携帯のアラームが鳴ったのは、千佳がシャワーから出た後だ。緊張して、ほとんど寝られなかった。朝から社内プレゼンがある予定だった。
入社2年。初めての企画。社内でキャリアを積めるかどうかが、今日決まる。失敗すれば電話番とデータ打ち込みの毎日に逆戻り。
ドレッサーの前に座る。ドライヤーで髪を乾かす。何度もチェックした資料にもう一度目を通しながら、ブルーのブラジャーとショーツを身に着ける。入社試験。企画の草案の社内コンペ。いつもこの下着を選んだ。仕事の勝負下着。彼女のジンクス。
カラーの立った白いシャツ。グレーのジャケットに、ストレートのパンツを合わせる。ヒールの高いパンプスを合わせれば、背も高く見える。目が大きく、かわいいとは言われる童顔。前髪を上げて、しっかりと眉を描いた。鏡の前に立つ。仕事が出来そうなスタイル。千佳は満足した。
マンションの鍵を掛け、階段を降りる。朝日がマンションのホールに差していた。
カツ、カツとパンプスの音が響く。背筋を伸ばし、外に出た。
マンションから出たすぐ先に、ゴミの集積所がある。
見知らぬ二人が、集積所に積み上げられたゴミ袋の前に座っていた。
小声で話している。
不審に思いながら、千佳がその横を通り過ぎようとした。
「あなた、島田さん?」
「はい?」
いきなり話しかけられた。集積所の前に座っていたのは初老の男と中年の女。声を掛けてきたのは女だった。
「島田さんね、困るのよ。こういうことされちゃ」
やけに派手な原色の服。赤のローファーなんて、どこで売っているのだろう。紫に髪を染めた、その中年の女がカン高い声で言う。
「はい?」
初老の男はゴミ袋を開けていた。ふとその手元を見た千佳は驚いた。ゴミ袋の中の化粧品の箱に見覚えがあった。
千佳が昨夜出したゴミ袋を、その男が開けているのだ。
「今日は燃えるゴミの日ですよ! それをまぁ、こんなもの」
詰問する口調。やけに濃いメイクの、女の目が怖かった。
「何ですか? あたし、ちゃんと分別してますよ…」困惑する千佳。
「嘘おっしゃい!」
女がゴム手袋をはめたもう片方の手を、千佳の前に突き出した。
「あ…」
女がつまんでいたのは、透けた桃色のコンドーム。一緒に捨てたティッシュがべったりと貼りついて揺れている。
週末、恋人が千佳の家に泊まっていた。その時のもの。
いきなり鼻先にそんなものを突きつけられて、千佳は混乱した。
「これは不燃ゴミでしょう? 島田さん? ゴミの分別なんてしてないじゃない!」
もう片方の手には捨てたはずの千佳宛のダイレクトメールが見えた。これで名前を知ったのだろう。
初老の男は、こちらには無関心のように背中を向け、まだゴミ袋をがさがさとひっかき回していた。
「どなたなんですか? 勝手に人のゴミ袋を調べたりして…」
震えた小さい声しか出せない。自分が出したゴミなんて、見たくない。
「私たちはこの地域の、分別ゴミの監視委員です!」
女は腕の腕章をぐい、と引っ張り、誇らしげに見せた。『クリーンとうきょう大作戦』の文字が見える。グレーの作業着を着た、初老の男の腕にも同じ腕章があった。
腕章も、胸の写真入の名札も本物のようだ。
でも、いきなり人のゴミをあさるだなんて。千佳は顔が真っ赤にして、コンドームを取り返そうとした。
「わかりました、ごめんなさい。ちゃんと捨てますから」
手が届く前に、さっと引っ込められた。
「何を言ってるのよ、自分がルールを守らなかったんでしょう! あなたが不燃ゴミ、それも使い終わった避妊具なんて捨てるから注意してるんでしょう? 違うの? そうでしょう! これは立派な都条例違反よ!」
大きな声に気付いたのか、近くの建物の窓が開く音がした。
「ちょ、ちょっと、そんな大声で…」
指を噛む。今は周りに人はいない。でも通勤時間だ。誰が出てきてもおかしくない。少しでも早く、逃げ出したかった。
とにかくここは、逆らわずにおこう。そう千佳は決めた。
「今度からちゃんと捨てますから。すみません…」
それまで黙ってゴミ袋を調べていた初老の男が、千佳に向き直った。