銀の羊の数え歌−最終回−-3
銀の羊の数え歌というのは、言い換えると幸せの数え歌みたいなものだ。
読み終えた後、僕は心の中で、なるほど、と納得した。そして同時に、この物語がただの童話ではないことを知った。
イラストも文章も子供向けではあったけれど、そこにあるメッセージは、年齢を越えて、人間というジャンル全てに共通しているように思える。
不幸じゃない。幸せなんだ。
僕は自分のことを考えながら、奥歯を噛み締めるように、内心呟いた。
僕の好きな柊由良はここにいる。もう治らない病気だから、いつかはいなくなってしまうけれど、少なくとも、それは今じゃない。
今は、生身の肉体を持ってここにいて、僕のすぐそばでこんなにも嬉しそうな顔で絵本を見つめている。お互いが共有しているこの瞬間が、二人をつないでいるこの空気が、今の僕の幸せなのだ。何物にもかえがたい、宝物。
ふぅ、と大きなため息をつくと、柊由良は僕の顔を見るなり笑顔をこぼした。
「おもしろかったぁ」
僕は本をとじると、それを彼女の膝のうえにのせてやった。
「そう。よかった。大切にしてね」
「うん。大切にする」
柊由良は絵本を手にとると、恋に落ちたような微笑を浮かべて、それを胸に抱いた。 その顔を見つめながら、僕は心の中であらためて真壁に感謝した。そして、思い出したように、後ろに隠してあった紙袋を前へ持ってきた。
「そうそう。こういうのもあるんだよ」
ごそごそと、四角い中身を取り出す。包み紙をきれいにはがして、それをベッドのわきの棚に置いてやる。すると、期待に満ちていた柊由良の瞳がさらに輝きを増した。
コンセントをさして、スイッチを入れる。
とたんに、それがなんであるかに気がついた彼女が、わぁ、と歓喜の声をあげた。
今にもベッドから転げ落ちそうな、えらいはしゃぎようだ。危ないから、ベッドからのりだしちゃだめだよ、と言いながら僕は笑った。これだけ喜んでもらえたら、こっちもプレゼントしたかいがあるというものだ。
立ちあがり、ドアの前まで行って、部屋の明かりのスイッチを押す。ふっと闇が降りてきて、棚のうえの小さなクリスマスツリーの輪郭だけが浮き彫りになった。赤、青、黄、白の四色が、夢の滴みたいに瞬いている。
再び元の場所へ戻って、椅子へ腰掛けようとした。
その時だった。ふと背中に気配を感じて、僕は背中の方を振り返った。
「……あ」
思わず声をあげた。
雪だ。
この部屋よりもいくぶん明るい窓の外では、真綿のような雪が、ゆっくりと降りだしていた。同じように気がついた彼女が、雪が降ってる、と嬉しそうに指さして言った。
腰を浮かせて、窓の前に立つ。
と背中から柊由良に呼ばれて、僕は向き直った。
「綺麗だね。雪。真っ白だよ」
潤んだ瞳で見つめ返してくる彼女の表情に見とれて、まともに窓の外も見ないまま僕は頷いた。
「うん。ホワイトクリスマスだ」
「ねぇ。藍斗センセ」
「ん？」
「私。楽しいよ。嬉しいよ。大好きな藍斗センセがそばにいてくれて、私とお話しをしてくれるだけで、それだけで、とってもいい日になるよ。銀の羊さんもいっぱい数えられる。ありがとう。藍斗センセ」
僕は、笑みを湛えている彼女に、同じように笑みを返すと、僕もだよ、と答えた。
それは、僕も君のことが好きだよ、というつもりで言ったのだけれど、うまく伝わったかどうかまではよく分からない。
柊由良は、『銀の羊の数え歌』を胸に抱いたまま、うん、とひとつだけ頷いた。
その笑顔はまるで、間違って触れたら溶けてなくなってしまうような、無垢で、はかない雪のようだった。