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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−最終回−-4

授産施設というのは、なにも仕事ばかりを教えているわけではない。一年を通せば、月一回の割合でなにかしら楽しい行事がある。
そうやって、たまには入所者も職員も息抜きをしなければ、毎日の作業にどうしてもめりはりがなくなってきてしまうのだ。
そして今日はその行事のひとつ。
花見を兼ねた、遠足の日だった。
けれど出発が午前十時のはずなのに、僕はと言えば予定時間を十分以上回っていても、いまだに施設の中を走り回っていた。
今日の荷物を事前に準備していたにもかかわらず、積み込みに予想を上回る時間を費やしてしまったのだ。入所者と職員、総勢七十名の大移動は半端じゃない。
「牧野君。荷物はあれで全部?」
職員室で、向こうで必要な書類をまとめていると、後ろから石垣さんが声をかけてきた。 「いえ。ダンボールと、紙袋があと少しあります。ああ、僕の車にのせるんで、先に行っててもらえますか。みんな、もう待ちくたびれているでしょう」
「そうだな。じゃあ、そうさせてもらうよ。場所は分かるよね」
僕は向こうで必要な書類をファイルに挟めると、せっせとまとめて紙袋に詰め込んだ。
「はい。分かります。大丈夫ですよ。すぐに追いつきますから」
「うん。じゃあ、これだけ持って行くよ。それじゃあ、悪いけどあとはお願いね」
そう言うと、石垣さんは両手でダンボールを二つ持ち上げて、のっそのっそと歩いて行ってしまった。一個でも相当重いはずなのに、それを同時に二個も運ぶなんてたいしたものだ。
僕は紙袋と小さなダンボールを小わきに抱えると、施設内の昭明を切って、廊下へ出た。 各部屋を回って、誰も残っていないことを確認する。必要な箇所は忘れず錠をかけ、最後に入り口をしめる。
「よし。終わった」
外の空気は、とても埃っぽかった。
春特有の生温かい甘い風が、地面をなめるように下から吹いてくる。
僕は両手に荷物を抱えたまま、職員専用の駐車場までぶらぶら歩いた。
途中、緩い坂道を下るのだけれど、そこに立ち並ぶ桜の木々も、伸ばせるだけ枝を伸ばして、すでにしどけないまでに咲き誇っていた。
まるで、桜のアーケードのようだ。
風に押される度に舞落ちる桜の花びら。
その中にいると、今日一日はまだ始まったばかりだというのに、なんだか眠くなってきてしまう。
ふわふわと欠伸をすると、目尻に涙がにじんだ。
ようやく坂を下りると、そこから右に曲がった。そしてひらけた駐車場の一番奥に停めてある車まで行くと、僕はいったん荷物を足元に置いてジーンズのポケットに手を突っ込んだ。あれ、ともう片方のポケットへ手を突っ込む。ない。後ろにも入ってない。
「車のキー、どこやったっけ」
困って、さっきまでまでの記憶をたぐりよせるように探ってみる。なかなか思い出せない。
なんとなく腕時計を見ると、すでに十一時を過ぎようとしている。見なきゃよかった。焦って余計に思い出せなくなってしまう。
と、ふとした瞬間。頭の中に数時間前のことが浮かんだ。そうだ。そういえば、朝に着てきたジャンパーの胸ポケットに入れたままだった。
僕は坂のうえの施設を見上げると、げんなりとため息を吐き出した。
ジャンパーは職員用のロッカーの中だ。
もう一回戻るしかない。
さすがに今度は歩いている場合ではなかったので、僕は全速力で走りだした。
きた道を曲がって、緩い坂道をかけていく。 と、上りきろうとしたところで、背中から誰かに呼びとめられたような気がした。
聞き覚えのある、歯切れのいい口調。
僕は足を止めて、ゆっくりと振り返った。 けれど、そこには誰の姿もない。
遠く近く、桜の枝がざわざわと揺れているだけ。多分、その音を彼女の声と勘違いしたのだろう。そうでなければおかしい。


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