School days-3
10回目のゴールに突っ込むと、叶実は地面にへたり込む。
「今日は全部いいペースで走れてたぞ」
麻生が叶実の傍に屈み込んだ。既に辺りは薄暗くなっていた。グランドに居るのは叶実と麻生の二人だけ。二人の影が地面にぼんやり落ちている。
「他の部員は…?」
まだ切れる息を堪えて、叶実が聞く。
「みんな先あがったよ。後ダウンと体操して終わりなさい」
ダウンとはクールダウンのこと。軽くランニングして溜まった乳酸を回すのだ。乳酸が溜まったままだと、筋肉痛の原因となる。
はーい、と麻生に背を向けた叶実だが、ふと立ち止まって振り返る。
「先生もダウン、一緒にしません?」
「うわ…体重っ」
走りながら麻生が言う。
叶実は苦笑した。
「何言ってるんですか、インハイ入賞者が」
「インハイってな…何年前だと思ってるんだよ」
麻生が空を仰ぐ。
「俺もう25だぞー?」
ふふふ、と叶実が笑う。昨日までは考えられない光景だった。
「ねぇ、先生。もしよかったら駅まで送ってくれませんか?」
昨日のことがあるからだろう。叶実からの申し出だった。むろん麻生は了承する。彼としてもそのつもりだったのだから。
「…ん」
突然の可愛い叶実の声に、麻生は鼓動が高鳴るのを感じた。
「雨…」
どうやら叶実は皮膚に感じた水滴に声をあげたようである。
そしてその声をが合図だったかのように音をたてて雨が落ちてきた。
「おい、戻るぞ!冷えたら大変だ」
麻生が叶実の腕を取り、走り出す。
(何で俺、生徒にときめいてんだよっ)
と思いながら…
「わー冷たぁい…」
二人は部室に駆け込む。髪からは雫が滴っている。
「すげー降って来たな…」
部室に響く雨音。
「困ったね…」
叶実は麻生を見上げる。
「だな。記録会も近いし、お前をこのままにしとく訳には…」
ふと麻生が黙り、そして言った。
「俺の家、駅裏にあるんだが、寄ってくか?」
は?という顔をする叶実に麻生は慌てて付け加えた。
「変な意味なんてないぞ、ただ髪とか乾かした方がいいしとか…」
「それくらい分かってますよ」
叶実が溜め息混じりに言った。
「もう。生徒信用してないんですか?」
麻生の家は、駅から500?程離れた所にあった。赤レンガのちょっと洒落た二階建てアパート。
しかし外観とは裏腹で、部屋の中は殺風景だった。部屋自体はバス・トイレ別、クローゼットと天窓つき(麻生は二階に住んでいる)と素敵な造りだが、置いてある物が少ないのである。ベット、机、その上にスタンドとノート型パソコン。後は小さな棚が一つだけ。
「随分すっきりしてるんですね…」
叶実が呆気にとられて言う。
「テレビとかは?」
「今時はパソコンについてるの」
麻生がタオルとTシャツを投げてよこした。
「シャワー使えよ。俺は愛車の中始末してくるから」
二人とも濡れたまま車に乗ったので、車内が湿ってしまっていたのだ。
「ごめんなさい…」
「いーから早く入れ。俺に風邪ひかせる気か?」
クスリと笑い、麻生は部屋を出て行った。
一人取り残された叶実は、おずおずバスルームへ入った。
(こんなこと麻生ファンの女子にばれたら袋だたきだよ…)
服を脱ぐと頭からシャワーを被る。全身を流れる水。
ふっと叶実の脳裏を麻生の笑みが掠める。部屋を出て行く時の優しい目。
―どきん―
全身を鼓動が駆け抜ける。叶実は自分に驚いた。
(何ときめいてんのよぉ…)
しっかりしようと頭を振ると、雫が飛び散った。
今度は麻生の髪から滴る雨粒が頭をよぎる。暗闇で微かに光る瞳。
(何で?あたし変だよ…)
「よし、こんなもんでしょ」
座席にドライヤーをかけていた麻生がスイッチを切る。叶実が気を遣ってくれたお陰で、助手席はさほど濡れていなかった。
(こーいうとこ、ちゃんと女の子だよなぁ)
微笑んでから麻生はハッとする。
(馬鹿か、俺!何考えてんだ!?)
車に鍵をかけ、部屋へと向かう。
(なんか今日俺おかしいよな…)
麻生が部屋に入ると、叶実が突っ立ったまま髪を拭いていた。麻生は座布団を出して言う。
「待ってて、俺浴びたら送ってくから」
叶実は黙ってこく、と頷いた。