微笑みは月達を蝕みながら―第壱章―-5
あの少年は目が覚めるまで白に看てもらうことにした。シン曰く、「単に腹が減って倒れただけだ」そうなので、先ほど食べた食事の余りものを持っていかせた。
白もシンもこの場にはいない。レンは欠伸をかみ殺しながら、冷蔵庫の横にあるさらに小さな冷蔵庫を開けた。
ずらずらずらっと、銀色のアルミパックが並んでいる。『A』『B』『O』『AB』とラベルがあるだけのもので、なんとなく『A』を選んだ。『O』より『B』、『B』より『A』。別に味に違いがあるわけではないけど。
チューチューと間抜けな音を立てながら吸い上げる。中に入っているのは人間の血液。
スポンサーから(レンは何故かパパと呼んでいるが)定期的にもらっている輸血パックだ。
「……美味しくないわね」
一人ごちる。美味しくないと言いつつチューチューと飲むその姿は、まるで栄養バランスを整えるために無理矢理野菜ジュースを飲んでいるかのようだ。
ここ何十年かはずっと輸血パックのもので済ませている。必要最小限しか飲まないようにしているためか、昔の大部分のことは忘れてしまった。生き血に比べると得られる『力』が格段に少ないので、それもきっと関係しているのだろうけど(決してボケが始まったわけではない、と思いたい)レンは別に不便には感じていない。昔に比べると魔性の存在が少なくなって、力が必要じゃなくなったからだ。おかげでレンは今、日本でも最古の魔物となっている。
だがチューチューと輸血パックを吸っているその姿からは、そんな威厳は欠片も見当たらなかった。
「主人」
唐突に足元から聞こえた声に、危うく噴出しそうになった。何とか途中でせき止めたが、少し目を白黒させてしまう。
「何だ主人、そんなに驚かなくてもいいだろう」
呆れた声が下から聞こえてくる。
「……いたの、シン」
「先程主人が呼んだではないか」
足元から聞こえる声の持ち主は――猫、だった。
紅い瞳に真っ白な長い毛並みを持った、どこか女性的な雰囲気を持つ気品溢れる猫だ。
だが聞こえてきたのは男の声。どこか時代的で大仰な話し方は、あまり外見と合っていなかった。
何とか回復したレンは、そういえば、と思い出す。
「ご飯かしら? ごめんなさい、作るの忘れてて」
「いらぬ。先ほど食べた」
妙に不機嫌そうなシンの声は、先程あの少年を診てもらうよう『お願い』したからだろうか。少しだけ、目を逸らしながら、
「そ、そう……あ、おもちゃ買ってきたわ、一緒に遊ばない? 面白いのよ、ほら、ネズミがちょろちょろ勝手に動くの。新しいねこじゃらしも買ってきたし、それからね、」
「いらぬ!」
早口を遮る一喝。堪り兼ねたような大声に、レンは思わず身を竦めた。これではどちらが『主人』かわからない。
「……頼むから、使い魔に媚を売るような真似は止めてくれ。主人の好きにすればいい」
レンは少し考えた。シンはいつもしっかりしろとか『眷属』や『使い魔』に『お願い』するな『命令』しろとか、最近はレンのバイトにまで注文しはじめた。ファミレスのウェイトレスのどこが悪いのか、レンにはわからない。
とりあえず……
「もっと“昔のように”してくれ。……頼むから」
シンが言いたいのは、結局そういうことらしかった。